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Iraq Top


「イラクにいき隊!」
"Go Alive and Well @Iraq Company ! "


2003年2月15日(土)〜16日(日)
成田→アムステルダム→アンマン→バグダッド
Narita → Amsterdam → Amman → Baghdad


Iraq Visa (right) Narita Airport
Amsterdam (1) Amsterdam (2)
Amman (1) Amman (2)
Amman (3) Amman (4)
on the Way to Iraq Iraq Immigration
on the Way to Baghdad Palestine Hotel @Baghdad


こうして僕はイラクに行った。

 そもそものきっかけは、昨年11月、『吠えるサンコー「米イラク攻撃は是か非か?」』と題されたトーク・ライヴ・ハウス LOFT/PLUS ONE(以下、LPO)のイヴェントに参加したことだった。壇上で一水会代表の木村三浩さんが客席に向かって、また近いうちにイラクに行くんだけど、皆さんもいっしょに行きませんか、と呼びかけたのだ。ロフトシネマの増田さん、常連客のまつきさんと並んで正面最後列に陣取ってた僕は、ロフトシネマで撮影班組めば、と冗談のように発言したことを憶えている。そのときはまさか自分がイラクに行くことになるなんてまったく思っていなかった。20代後半から30代前半にかけてリュックを担いで40か国ほど旅したことはあったが(旅行期間は総計で約2年間)、この10年間、僕は1度も日本から出たことがなかった。身辺の環境がそれを許していなかった。だからこのときも、ロフトから誰か行けば後で面白い話が聴ける、くらいの軽い気持ちだった。
 いつの頃からか、LPO席亭・平野悠さん(以下、おじさん)が木村さんたちといっしょにイラクに行くという話が具体的なものとして僕の耳に入ってきた。「おじさんとの語らい」(掲示板)もその話で盛り上がってる。増田さんやまつきさんの他にも、イラクに行きたい、という人たちが次つぎと声を挙げ始めた。冗談だと思ってた話がどんどん現実味を帯びてくる。しかし僕は自分も参加したいとの意思表示は行わなかった。行きたい気持ちはやまやまだったが、どうせ行けないだろう、と諦めてたからだ。
関係ないけど、わし、イラク行きたくなってきた。
実際に行くかどうかは別として、今日、これからパスポート申請しに行く。
最後に外国行ったの、1992年で、パスポートもとっくに有効期限切れてる。
 これは今年の1月16日、僕がある掲示板に書き込んだ文章である。このときは、もしかして僕もおじさんたちといっしょにイラクに行けたら楽しいなあ、というほどの軽いファンシーを抱いていたにすぎない。「楽しい」なんて表現を使うと一部(大部分?)の人たちから顰蹙を買うかもしれないが、僕がイラクに行きたかった動機のうちに、反戦とか平和とか(あるいは反米とか)ということはもちろんあったけど、行ってみたい、見てみたい、触れてみたい、聴いてみたい、味わってみたい、嗅いでみたい、という強い好奇心がその中心にあったことを否定しない。昔、僕を世界旅行へと衝き動かしたと同じ衝動が、僕をイラクへの旅へと衝き動かしたのだ。
 結局、LPO関係者のイラク訪問団への参加はおじさんと増田さんの他にはアルバイトの青年・TさんとUさんの2人だけで、客は僕以外いなかった。しかしとにかくこうして僕はイラクに行った。(2/27)


「イラクで死に隊」解散??

 僕たちが日本を発つ前日(2月14日)、バグダッドに滞在する日本人に対して外務省から退避勧告が発令された。新聞報道等から判断する限り、僕たちのイラク滞在中にアメリカ軍がイラク攻撃を強行することはたぶんないだろう、と希望を込めて予想はしていたが、漠然と死を意識しての旅立ちとなった。
 出発前に成田空港から親のところに電話をしたところ、僕たちのことが産経新聞に出ていると言う。電話をしたのがぎりぎりだったので、新聞を入手する時間がなく、実際にその記事を目にしたのは帰国後だが、「市民団体など 80人イラク渡航強行へ 外務省の中止要請振り切り」「一水会」などの文字が出ているという(→)。
 というか、逆に言えば、その小さな記事くらいしか僕たちの行動に関する事前の報道はなかったわけで、出発に際して少しは空港に取材が入ってるかも、と思っていたのに些か拍子抜けのする出発ではあった。
 アムステルダムへの飛行機は右隣がパンタさん、左隣が一水会のNさんだった。aisle でもなく window でもなく、坐り心地が悪かったので、2人と雑談したり居眠りしたりしてる時間以外は便所に避難して1人で読書していた。ここは空間も広く、明るいので読書には最適だ。まず雨宮処凛『悪の枢軸を訪ねて』、次いで木村三浩『鬼畜米英』を拾い読みした。本当は勉強のために事前に読んでおきたかったのだが、時間がなかった。
 長いフライトの後、アムステルダムに着いた。直後のいきなりのおじさんの単独行動には驚き呆れはてたのだが、その件まで書いてると文がなかなか終わらないので、断腸の思いで省略。その後、キツネ目組のたけちよさんの先導で僕たちも少しだけ街を散策した。
 空港に戻って、アンマン行きの飛行機が出発するまでの間に少しだけインターネットにアクセスすることができた。情報を得ようとまず asahi.com を覗いてみたところ、正確な文面ではないが「イラク空爆、早くて3月中旬か下旬以降に」というような見出しの記事がトップニュースで目に飛び込んできた。飛行機が落ちない限り、これで死ぬことはない! それまで張りつめてた気持ちが弛んでしまった。このとき以降、基本的に(いくつかの例外を除いてだが)リラックスした気持ちで旅をつづけることができた。
 ヨルダンからイラクへと国境を越えるときも、一人旅で国境を越えたり、深夜に新しい街に到着したりするときには緊張するものだが、グループなのでほとんど緊張しなかった。
 アンマンから陸路約1.000km、十数時間、バグダッドのパレスティナ・ホテルには16日の夜中1時過ぎ(正確にはすでに17日)に到着した。2時頃、遅い夕食を食べ、それぞれに部屋をあてがわれ、寝たのは3時過ぎだった。(3/5)


「ブッシュ政権のイラク攻撃に反対する会」 イラク訪問団
2月 7日(金) 結団式・説明会 @ルノアール新宿区役所横店
2月13日(木) 記者会見 @LOFT/PLUS ONE
2月15日(土) 11:00 成田発 → 15:00 アムステルダム着 (KL862便)
19:15 アムステルダム発 → 翌00:55 アンマン着 (KL405便)
2月16日(日) アンマン発 → バグダッド着 (陸路)
2月17日(月) バグダッド市内で行動
2月18日(火) バグダッド市内で行動
2月19日(水) NASYO「イラクへの戦争と侵略に反対する国際会議」
2月20日(木) NASYO「イラクへの戦争と侵略に反対する国際会議」
2月21日(金) NASYO「イラクへの戦争と侵略に反対する国際会議」
2月22日(土) バグダッド発 → アンマン着(陸路)
2月23日(日) 02:15 アンマン発 → 06:40 アムステルダム着 (KL406便)
14:15 アムステルダム発 → 翌09:25 成田着 (KL861便)
2月24日(月) 09:25 成田着、解散
3月 4日(火) 「イラクの現在、最新報告!」 @LOFT/PLUS ONE

NASYO=Non-Aligned Students and Youth Organization(非同盟学生青年機構)


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