へのへのもへじの旗もってくの忘れた。
僕と一水会との出会いは今から10年以上前に遡る。どんなイヴェントか忘れてしまったが、立ち回り先の電柱に四谷公会堂(現・四谷区民センター)で行われる予定の一水会の催しのお知らせが貼ってあるのを見つけ、なんとなく興味をもって、ぶらりと寄ってみたのが最初だった。その後もときどき鈴木邦男さんの個人イヴェント(文化人等を呼んでトークする)を中心に、たまに一水会プロパーのイヴェントにも顔を出したりしていた。ただ正直なところ、右翼は怖い、という印象があったし、民族派の人たちと個人的に関わり合いをもちたくなかったので、催しが終わればすぐに帰り、最近までそれ以上の交流は一切なかった。
一水会とは天皇制等いくつかの問題を除けば、思想的に一致するところも多かったし、イヴェントに参加することは勉強になった。鈴木さんの本も何冊か読んだが、語り口に独特のユーモアがあり、作家として才能があると思っていた。
今回のイラク訪問団の主催がもし一水会そのものだったとしたらたぶん参加しなかっただろうが、一応、「ブッシュ政権のイラク攻撃に反対する会」という会の名称が別に立ってたし、会の賛同者リストには社民党の現国会議員も含まれてる。おじさんたちも参加するというし、PANTAさんみたいな有名ミュージシャンもいる。そのうえ元赤軍派議長の塩見孝也さんみたいな「極左」の人まで参加するのだから、今回の訪問団はイデオロギーを超えた反戦のための行動という側面が強いと判断した。『新しい神様』の雨宮処凛さんにも興味があった。
今年の1月12日、文京区民センターで行われた第1次イラク国際市民調査団帰国報告会に参加したとき、プログラムの一部として、かつて一水会に所属し、現在は政経調査会代表を務めてる槇泰智さんが現地で撮影したヴィデオが上映されたが、槇さんはイラク人に日の丸の旗をもたせて(今回の自分の経験から判断すると、本人が槇さんに頼んで自主的にもたせてもらってる可能性も否定できないが)、デモに参加したりしていた。市民調査団は基本的に左の要素の強いグループと認識していたが、その人たちに混じって、1人、槇さんが民族派としての気を吐いてる姿はどことなくユーモラスであり、それもありかな、と一応好意的に捉えたのだが、仮に自分がその場にいて日の丸を振らされたら堪らない、とも同時に思った。
2月7日の結団式・説明会の席で、木村三浩さんは、日の丸の旗は強制しない、皆さんがアカハタを振るのも大いにけっこう、と発言したので、アカハタの代わりにパレスティナの旗をもってイラクに向かうことに決めた。もともと君が代に対する拒否感に較べれば日の丸へのそれは、僕の場合、弱かったこともあり、強制されないなら別にいいや、という感じだった。ただし即座にその場で、如何なる状況下でも日の丸の旗は絶対に受け入れられない、と発言し、原則的な立場を堅持した参加者が1人いたことは、一応、ここに附言しておく(塩見さんではない)。
実際、イラクに入ってみて、市民調査団の人たちもパレードなどの行動の際、日の丸の旗を受け入れてるみたいだったし、僕自身、こういう国際的な場では日の丸の旗もありかな、と思わざるを得なかった。国内での微妙な問題をここで一から説明してみても始まらない。
バグダッド第3日目、この日は朝から「イラクへの戦争と侵略に反対する国際学生青年フォーラム」のオープニング・セレモニーがあった。このときの様子は後ほど余裕があったらまた別に章を立てて述べるとして、ここでは省略するが、独特の雰囲気がありエクサイティングで、少なくとも僕にとっては面白かった(逆に言うと、つまらないと言う日本人も多かったということだが)。
会はつつがなく進行し、そして閉幕した。お腹をすかして会場の外に出ると、木村さんたちが大きな日の丸の旗を前にして皆で並んで記念撮影してるところだった。急いで僕も撮影隊に加わってようやく1枚撮ったのだが(↑の写真を参照)、木村さんに、ムキンポ、早くこっち来い、と呼ばれてしまい、いっしょに旗の前に並んでたので、思ったように何枚も撮影できなかった(僕の場合、撮影技術が未熟なので、同じ構図で何枚も撮っておかないとまともに写ってない場合がある)。僕が写ってる写真もどこかにあるとは思うのだが、残念ながら、今現在、手許にはない。ちなみに結団式・説明会のときに原則的な立場を主張した参加者はこのときも日の丸の旗の前に立つことを拒絶した。
そのときいきなり、貴様!と怒鳴り声が聞こえてきたのである。
何だ? 呆気にとられて声のする方向に目をやると、木村さんが撮影隊(といってもそのときたまたまその場に居合わせて僕たちのことを撮影していた人たちで、外国人も混じっていた)の中の1人に向けて発した怒鳴り声だった。市民調査団のメンバーで、僕も少しだけ言葉を交わしたことのある青年だった。
無礼者!何者だ!名を名乗れ!
誰の許可を得て撮ってるんだ!
イラク訪問を無事に終え、日本に帰国してすでに10日以上経った今でも、このとき何が起こったのか十全に理解してないのだが、このときの木村さんの態度は僕にはどう見てもヤクザの恫喝と似たようなものとしか映らなかった。
僕は(僕だけでなく訪問団の他の複数のメンバーもだが)市民調査団の人たちをそれまで自由に撮影していた。肖像権は大事だし、もちろん尊重すべきだが、僕たちの訪問団は(そしてたぶん市民調査団も)、メディアへの露出を前提に、あらかじめその効果を期待して組まれたものではなかったか。2月7日の結団式・説明会のとき、僕はその場に居合わせた全員に、イラクでは皆さんを自由に撮影してそれをインターネットで発表したいがかまわないですか、と質問し、許可をもらっている。そのときの感触でも僕のこの捉え方は間違っていないと思うのだが。
あのときの木村さんの態度は今でもどうしても腑に落ちないし、一水会の体質への疑問として強烈に僕の中に焼きついた。要するに一言で言うと体育会系ってことか。(3/7)
#その後、「悪法おだぶつ村」のときだったと思うが、木村さんと個人的に話す機会があって、このときの疑問をストレートにぶつけてみた。
木村さん曰く: 中には公安やよからぬ意図をもって近づいてくる人間もいるので、撮影にはふだんから敏感になっている。たまたま目にとまった彼に注意したが、他の撮影者にはまったく気づいていなかった。気がついていれば同様に注意していただろう。注意の仕方が恫喝的ではなかったか、と言われれば、そういう面はあったかもしれないが、その点に関しては今後は気をつける。撮影していいか、と事前に訊いてくれれば、即座にOKしてただろう。彼にはその後の話し合いの中で理解してもらっている。事前に一言の挨拶もなく、勝手にいきなり撮影することは無礼であろう。最低限の礼儀はわきまえてほしい。
僕もふだんから街頭闘争の情景などを撮影していて、肖像権とか、あるいは写真を発表されることにより、たまたま被写体となった方が受けるかもしれないリスクとか、常に考えてるので、木村さんの上の考えは、注意の仕方が些か恫喝的だったことに関しての疑問は残るが、道筋としては納得できた。
時宜をはずした感はあるが、附記しておく。(10/26)
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