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Also Sprach Mkimpo Kid

1997年10月01日(水)

 「民主主義は、名乗って、生身をさらし、自らの責任でものを言う、それが大原則だ」という西垣通の発言を、 THE HAN WORLD の金明秀は「民主主義は、名乗って、生身をさらし、自らの責任でものを言う」ことができる、が原則、と言い換えた。そのような場所を確保する必要がある、ということだろう。
 しかしそのような場所を如何にして確保するのか? それには彼は「差別を倫理の問題としてではなく、刑罰の対象として取り扱う国内法と価値観」が必要、と言っている。
 僕も、ある程度の規制が必要、ということには同意するが、実際には「何を差別とし、何を差別としないか」、もっと広く言えば、「公序良俗違反とは何か」という問いは、単純に線引きのできる課題ではない。そこにどのような基準を当てはめていくか、を決める作業は僕の手に余ることだ。とりあえずこれは他の人に任せるとして、今すぐ僕が考えなければいけないことは、自分が「言論」の名を借りた「暴力行為」に加担していないか、を自省することだろう。
 彼はまた、

 酒鬼薔薇事件のときに(事件は今でもまだ続いているが)数多くのアングラ系掲示板がつくられ、そこに無数の無責任で下劣な書き込みがなされた。それらはネットワークの「匿名性」に守られたものだ。

 という HANBoard への僕の投稿に対して、

 匿名性に守られたというより、無責任なBoardmasterに守られた、というほうが近いと思います。そういったアングラ系掲示板では、開設者や管理人自身が、「無責任で下劣な書き込み」を歓迎する傾向にあり、問題投稿を削除したり、投稿者をつきとめて罰を与えるなどの管理人としての責務をはたしていません。

 とコメントしている。僕の秘密の掲示板はこの条件をクリアしているか?


1997年10月02日(木)

 佐川一政の「少年A」(ポケットブック)を読んだ。芹沢俊介と山崎哲との鼎談は退屈だったが、あとの部分はなかなか面白かった。特に「あとがきにかえて」の締めくくりがいかしてる。

 一般大衆の恐怖と関心は、彼が二、三年で少年院から出てきて自分たちの近所に現われ、そのかわいい子どもたちを殺してまた首を切るかもしれないと思っているということだろう。
 ならば、僕の隣に来たらいい。僕は子どももいない。首のほうは、もともとギロチンにかかって死のうと思っていたので、いつ切られてもかまわない。
 不毛な監禁生活で、ますます彼の性格を悪くするより、社会復帰と罪のつぐないのために、師匠を早く見つけて文学の道に邁進することを心から勧める。それとも僕では役不足か・・・・・・。

 なかなかぶっとんだ意見だ。僕も彼には小説家になって欲しい。
 以前、7月21日の日記に〈僕が考えた酒鬼薔薇の「刑罰」は「少年院に20歳または23歳または26歳まで入院して、灰谷健次郎との往復書翰で小説家になる修行をすること」〉と書いたが、灰谷よりは無論、佐川の方が適任だ。
 しかし先日発表された「懲役十三年」は何回読んでも難しいだけで、あまり面白くなかった。
 続いて町沢静夫の「壊れた14歳」(WAVE出版)を読んだ。これもなかなか面白い本だ。

 一般的な純文学小説の読書量との関係を調べてみると、小説類を読む人ほど「私はいつも周りの人から見放されている気がする」といった見捨てられ感が強い。特に、純文学類をたくさん読む人ほど精神的に不安定であることがわかる。(120頁)

 最近、小説をあまり読まなくなったのは、僕が健康になったってことか?
 ところで新聞によれば、今日午前、「重症の行為障害、性的サディズム(性障害)の症状がみられ、精神医学的治療の可能な環境に置くことが望ましい」という内容の少年Aの精神鑑定書が神戸家裁に提出されたそうだ。
 TVのワイドショウに何度も出て、内容空疎で見当はずれのことを得々と喋っていた小田晋を始めとする「専門家」たちが鑑定したり、治療したりして、本当に少年Aは立ち直れるのか? 前記の町沢自身、前掲書の「第10章 少年は治療できるか」のなかで次のように語っている。

 今の日本の精神科にあっては、犯罪とならないレベルの反社会的行動を示す少年たちは、たいてい精神科医やカウンセラーが看る。だいたいにおいて医者やカウンセラーは受験のエリートであり社会のエリートである。少なくとも、そう見なされていることが多い。このような人たちが社会からドロップアウトした非行少年の治療に携わるのには、人生や生き方にあまりにも違いがありすぎるように思われる。治療もスムーズにいかないことが多いようである。

 非行の問題は難しいものであって、それに対応する十分な経験とそれに向いた人の養成がなされなければならない。単なる精神科医や心理のカウンセラーが登場してきて、普通の精神科の患者と同じようなスタイルで治そうというのには無理がある。

 もし本気なら、ここは佐川一政に頑張ってもらいたい。新潮社から本が出たら、僕も1冊買うぞ。そのときまで続いていたら、僕の日記で紹介するぞ。


 NTTの「電話番号の非通知方法のご希望承り書」で「回線ごと非通知」を選択して、投函した。ハガキを出さなければ、全部「通話ごと非通知」として取り扱うっていうのは、おかしい。本来、取り扱い方が逆なんじゃないか? そもそも用語がわかりにくい。「原則通知」「原則非通知」とでも呼ぶべきじゃないのか?
 「意見箱」に意見した。


1997年10月06日(月)

 「週刊文春 10月2日号」が「インターネットの寄生虫 ダイアナ“血まみれ写真”を流した日本人」と題して、香港のカレンシルクウッドを紹介し、「問題の〈いけない画像7〉」の不鮮明なコピーを誌面に転載したときには、いかにも「週刊文春」らしいあざといやり口だと思ったが、今度は「AERA '97.10.13」が「ネット上で横行『写真は嘘つく』時代」と題して、白黒ではあるが、「週刊文春」よりかなり鮮明度の高い「Death of a Princess」の“血まみれ写真”を転載した。
 僕も先月半ばには、その写真を infoseek で探し出して見ていたから、「AERA」を批判するわけではないし、その資格はもちろんないのだが、「AERA」ってもっと上品な雑誌なのかと思っていたから、ちょっと違和感を感じた。
 「AERA」がどういう判断でこの写真を転載したのか、つくりものだから人権侵害には当たらないってことなのか、考えを聴いてみたいね。


1997年10月07日(火)

 12月に京都で開かれる予定の気候変動枠組み条約第3回締約国会議に向けて、日本政府が6日発表した温室効果ガス削減の日本案は「差異化」と「柔軟性」という仕掛けによって資源多消費国アメリカや「地球に優しい」産業界の意向に擦り寄り、議長国としてのイニシアティヴも未来へ向けての確かな展望も示せない中途半端なものであった。
 オタワ・プロセスで採択された対人地雷全面禁止条約に対しての軍産国家アメリカに追随しての消極性といい、こんな国が国連安保理の常任理事国になったところで、世界に対して如何なるメッセージを発するというのか? 


1997年10月09日(木)

 芝浦工業大学工学部建築学科の卒業設計で「高橋源一郎の家」を設計するという学生が98年3月までの期間限定ホームページをつくった。掲示板でアイディア等を募集している。さてどんな家ができるんだろう?


1997年10月10日(金)

 村上龍の「インザ・ミソスープ」を読んだ。「文藝春秋9月号」の「寂しい国の殺人」を読んで、またTVのワイドショウでいろいろ語っていたのを聴いて、かなり期待していたので、ちょっとがっかりした。「五分後の世界」のように物語のなかへと入っていけなかった。
 1996年12月29日から12月31日まで、殺人鬼フランクの東京でのナイト・ライフをアテンドする羽目になった20歳の青年ケンジがその間のできごとを回想する形でストーリーが展開するのだが、それにしてはケンジがあまりにも細部を見すぎ、記憶しすぎ、語りすぎていると思った。現場中継のように現在形でストーリーが語られるのならともかく、過去形で語られるにしては、語り手の世界認識があまりにクリアすぎる。記憶の風化がまったく見られない。書き手がケンジの名を借りて、語っているとしか思えない。
 僕は村上龍の作品では、デビュー作「限りなく透明に近いブルー」から「海の向こうで戦争が始まる」「コインロッカー・ベイビーズ」までが好きだ。あと中心的な作品ではないが、好きなのは「走れ! タカハシ」と「69 sixty nine」だ。
 「愛と幻想のファシズム」以降の作品にはどうもついていけないところがある。自身がファシズムに魅入られてしまったのではないか、という疑念を拭いきれない。



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