Rooftop
ムキンポの鼻☆スペリオール
2008年7月号
連載第48回
天国ってあるのかな。
彼女が死んで2週間が経った。彼女を失ったかなしみと彼女がいないさみしさと彼女に対する罪の意識とに悶えつつ日々を過ごしてきた。四十九日って言葉は知ってたけど、その日まで遺骨が手許にあって、その日にお寺に納骨するんだって、50年近く生きてても、今まで実感としてわかってなかった。その頃までには気持ちが少しは落ち着いているのかな。昨日は位牌を注文してきた。 最近、一番関心があるのは、天国ってあるのかな、ということである。 僕は元々「語りえぬものについては沈黙しなければならない」と考える人間だったのだけれど、年をとってだいぶ気弱になったか。死んだらすべてが無に帰するのだとしたら、ここにこうして書いてることも彼女の心には届かない。それってあまりにむなしすぎる。日に何度も「○○ちゃん」と声に出して呼びかけてみる。返事はない。
6月7日、午後1時30分、15年あまり連れ添った妻が他界した。44歳。まだ若すぎる。6月9日に通夜式があり、10日に告別式があった。5年ほど前に乳がんを患ったが、手術もうまくいき、予後も順調で、「被爆者の子」に対する医療費助成も07年8月には打ち切られ、てっきりもう治ったものと思ってた。ところが3月25日に急遽入院、2か月あまりの苦しい闘病生活の後、静かに息をひきとった。転移性肝がんと診断された。
乳がん手術の後、いっしょに朝鮮を観光旅行したこともあった。入院中からこの頃にかけてが一番仲のよかった時期かもしれない。最近の僕は彼女を悲しませるようなことばかりを繰り返してた。この間、彼女にもう少しやさしくしてあげてれば、別の展開もあり得たのではないか、少なくともあと1年か2年、長生きできてたのではないか、と悔やんでも悔やみきれない。 「長生きしたい」というのが知り合った頃からの彼女の口癖だった。 人の命は掛け替えがない。 「誰が(僕が?)彼女を殺したのか」ということと同時に「合成の誤謬(一番弱いところに皺寄せが来る?)」ということを強く思う。願わくば、天国で安らかに。
彼女の趣味は書くことと読むこと、そして織ることだった。 ↓は彼女の開いているサイトです。是非訪ねてみてください。 http://www.matsunaoka.net/ |
2008年6月10日(火) Naoka Memories 2008 合成の誤謬? あるいは 誰が彼女を殺したか |
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