パレスティナを学ぶ授業に対するイスラエルの抗議に抗議します

2002年3月31日(日)   

現在までの経緯

 2001年12月15日、神奈川県藤沢市の市立小学校が重信メイさんを講師に招いて授業を行った。翌16日、このことが asahi.com : MYTOWN : 神奈川で報じられた。(→■
 2002年1月23日、イスラエル大使館が小学校校長宛てに抗議文を送付した。翌24日、このことが毎日新聞、産経新聞等で報じられた。(→■
 1月28日、大谷恭子弁護士等が中心となり、イスラエル大使館の抗議に抗議しての署名の呼びかけが行われた。(→■
 2月23日、反弾連の集会で署名用紙がまわってきて、僕はこのとき初めてこの署名運動の存在を知った。数日後、四谷共同法律事務所を訪ね、署名用紙を入手した。大谷弁護士に署名要請文のウェブへの掲載の可否について問い合わせたところ、すでに締め切ったので載せないでほしいと言われた。
 3月26日、メイさんより署名要請文をウェブに載せてほしいとのメールがあった。大谷弁護士からは載せないでほしいと言われているが、どうしたらよいか、と返信した。それに対する回答はなかった。
 3月30日、「土地の日」の集会があり、約3か月ぶりでメイさんに会った。この間のことについて考えを聞いた。

 イスラエル大使館から小学校校長宛ての抗議文に、ムキンポのホームページはケシカラン、旨の記述があったらしい。大谷弁護士から掲載を遠慮してほしいと言われた本当の理由はここにあったのかもしれない、とそのとき知った。
 ここで僕(ムキンポ)及びこのサイトとメイさんや毎月の〈パレスティナに献花を!〉運動との関係について、若干、考えを述べておきたい。

重信メイ/ムキンポ/〈パレスティナに献花を!〉

 現在、〈パレスティナに献花を!〉と呼ばれている(そう僕が名づけた)このサイトは僕がまったく個人的に立ち上げ、運営しているものであって、メイさんとは直接何の関係もない。昨年9月5日、LOFT/PLUS ONEに彼女のトーク・ライヴを聴きに行き、そこでの出会いから僕がミーハー的に始めたものであり、一時、〈重信メイ/パレスティナ/オリーヴの樹〉と名づけていた時期もあったが、その後のコンテンツの変遷(自分では考えの深化と思っている)に伴い、現在では〈パレスティナに献花を!〉と呼んでいる。僕も参加している毎月のイスラエル大使館への抗議行動〈パレスティナに献花を!〉の名前が気に入り、そこから拝借したものである。因みにメイさんは毎月のこの抗議行動には参加していない。またこのサイトはあくまで僕の個人サイトであって、毎月の〈パレスティナに献花を!〉運動のオフィシャル・サイトではない。つまりこのサイト=僕(ムキンポ)とは言えたにしても、このサイト≠重信メイ≠毎月の〈パレスティナに献花を!〉運動である。トップページに掲げてある「お断り」を参考のため下に再掲する。

 お断り:このページは、党派にとらわれず、立場を超えて、パレスティナ解放のための運動に連帯する目的で、私が個人的に立ち上げ、運営しているものであり、如何なる個人・グループ・団体(〈パレスティナに献花を!〉運動を含む)の公式の立場をも代弁するものではありません。署名のない文章の文責は基本的に私にありますが、ここでとりあげた運動や主張のすべてに私が100%賛同しているわけではありません。(ムキンポ)

 以上の立場性を考慮すれば、サイト名は何か別のものに変えた方がいいかもしれない。以前より検討しているのだが、まだよい考えが浮かばない。〈パレスティナに献花を!ムキンポの声〉とでもするか。

イスラエル大使館よりの抗議について

 まことにケシカランものであると思う。個人から言論・表現の自由を奪おうとするものであり、容認できない。
 重信メイさんは“テロリスト”ではない。1人の若きジャーナリストである。個人的な経験を生かして子どもたちにアラブの文化を紹介することに何の問題があるだろうか。
 右翼・民族派は教科書問題のときのように、なぜ内政干渉としてこれに抗議しないのか。あるいは僕が知らないだけで、すでに抗議しているのだろうか。だとしたら失礼した。
 イスラエル大使館は小学校校長に宛てた抗議文を、是非、撤回してほしい。

ムキンポ   



2001年12月16日
asahi.com : MYTOWN : 神奈川
小学生にアラブ文化紹介 重信メイさん


2002年1月24日〜
毎日新聞「重信メイさんが小学校で授業 イスラエル大使館抗議」
産経新聞「重信被告の長女が小学校で授業 イスラエル大使館が抗議」
etc.


重信メイ☆MEDIOGRAPHY2002


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