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うひゃひゃ、ムキンポ小僧の誕生日。 |
数日前、本年7月17日の栃木県小山市での小沢一郎自由党党首の記者会見の抄録をTV番組の録画からHTMLに起こした。主にテレビ朝日の番組からとったが、一部は日本テレビの番組からとった。
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浅田彰の久しぶりの新刊が出た。といっても田中康夫との対談集だ。『憂国呆談』(幻冬舎)。「今じゃいちばん左翼の方に来ちゃった」浅田彰と昨日、買ってきて、今日、巻頭(1994年10月)と巻末(結び/1999年5月)を読んだのだが、何しろ対談の相手が田中康夫だから、テクストは平明でとても理解しやすい。1994年から1998年の5年間にかけて毎月行われた対談をまとめたものらしいのだが、浅田と田中がこのような対談を何年間にもわたって重ねてきたことは知らなかった。 1994年10月の「仮性包茎宣言」では、大江健三郎のノーベル文学賞受賞に寄せて次のようなことを書いている。 1960年10月12日に大日本愛国党を脱党していた17歳の山口二矢が社会党の当時の浅沼稲次郎委員長を刺殺した。この事件に触発されて大江は『文學界』61年1月・2月号に「セヴンティーン」、「セヴンティーン第二部/政治少年死す」を発表した。それに先立ち深沢七郎は「風流夢譚」を『中央公論』60年12月号に発表した。反発した大日本愛国党の元党員の少年が中央公論社の嶋中社長宅に侵入、社長夫人に重傷を負わせ、お手伝いさんを刺殺した。これ以後、「政治少年死す」も「風流夢譚」も2度と日の目を見ることはなかった。(世界大百科事典で調べて、少し補足した) 今、冷戦のあと原理主義が横行する世界で、ラシュディとか、ナスリンとか、文学的な表現によって生命まで脅かされる人が出てきてるでしょ。僕は絶対にラシュディにノーベル賞をやるべきだったと思うけど、大江の受賞に意味があるとしたら「政治少年死す」みたいに「検閲」されてきたものを今出すことにあると思う。でも、僕がそういうことを新聞に対して言っても全然活字にならない。結局、61年に起こったその事件は、すでにないことになってて、63年の障害を抱えた息子の誕生と、広島行きが、すべての出発点になってる。そこから受難と救済の美しい物語が展開して、今、世界に認められたという、そういうお涙頂戴の話になっちゃうのはどうかなと思うね。すでに眠くなってきた。 つづかないかもしんない。 (「風流夢譚」と「政治少年死す」のさわりは「ハタ坊だじょー」掲示板で読めます。「風流夢譚」はコピーをもってるので、もし希望者がいれば、お分けします。) |
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