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Also Sprach Mkimpo Kid



1997年04月08日(火)

 交通事故に遭い、2週間入院の後、退院してきたばかり。左手が固定されていて右手しか使えない。タクシー会社と過失割合を巡り、争っている。

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1997年05月01日(木)

 3年半の断筆を解いて、つい先頃、上梓された筒井康隆の『邪眼鳥』(新潮社)を読んだ。このなかには「邪眼鳥」と「RPG試案−夫婦遍歴」の2つの作品が収められている。
 2篇とも佳作である。そのことに異論はない。だがどこか期待はずれだった。
 これでは3年半のあの長かった沈黙は何だったのか、そんな疑問を感じてしまうのは僕だけではあるまい。
 もっと決定的に革命的な、ちょっと不謹慎な言い方かもしれないが、まるで阪神淡路大震災か地下鉄サリン事件のように、僕たちの平凡な想像力を遙かに超えた、僕たちの常識を揺さぶり、日常的な言語感覚を根底から打ち砕く、何か途轍もなく文学的なできごとを望んでいたのではなかったか。


1997年05月08日(木)

 最近、ようやく左手が少し使えるようになってきた。 今日、肩の金具を一部抜くための手術を受ける。


1997年05月22日(木)

 交通事故後ちょうど2か月が経過。怪我はかなりの程度、恢復した。
 
 今日は差別と偏見ということについて考えてみた。
 たとえば下の文章は僕の卒論小説の一部だが、「アメリカ人宣教師」の部分は最初は「朝鮮人労働者」となっていた。

 北海道に住んでいる僕の叔父は、炭坑を二つに油田を一つ、自動車修理工場を三つに火力発電所を九つ持っていた。彼は大正十二年九月一日、群馬県高崎市でアメリカ人宣教師によって殺害された。享年五十六歳だった。

 今回、WWWで公開するにあたり書き換えた。ほかにもいくつか書き換えた言葉がある。
 大学を卒業後、陸路でアフロ・ユーラシアをまわる旅を始める前の1年間、世界中の民族や文化、国々や社会に関する本をかなり集中的に読んだ。そのなかでそれまで「日本人」の意識構造(優越感や劣等感、差別と偏見)を無批判に内面化していた自分というものを「発見」した。その後の世界旅行と日本語学校での経験のなかから、僕の考え方や感じ方はいろいろな面で変わってきた。今回の書き換えは僕のそのような意識の変容を反映している。
 それはどのように変容したか? 古い差別意識を打ち捨てて、新しい差別意識を身につけただけかもしれない。

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1997年06月06日(金)

 明日は神戸に酒鬼薔薇聖斗探検に出かける予定。


1997年06月08日(日)

 今日は朝から探検に出かけた。北須磨団地一帯は一見したところ警察関係者よりも報道関係者の方が多いくらいだった。親子連れを見つけるとカメラを抱えて嬉しそうに近づいてインタヴューするのだった。そんな姿を何度も見かけた。これじゃ透明な存在に「警察も命をかけろとまでは言わないが、もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ」と言われても仕方がないぞ。
 午後は隣りの長田区に震災復興の様子を見に行った。段々と復興してきているが、更地やプレファブが多く、まだまだ先は長いという感じだった。


1997年06月13日(金)

 朝日新聞の「ニッポン現場紀行」という欄に「柳美里さんサイン会 筒井康隆さんと行く」が載っていた。以前、柳美里のサイン会が右翼か何かの脅迫で中止に追い込まれた、という報道があったが、これはその後日譚である。同記事によると、「なぜ、ユウ・ミリと読むのか。『柳』という字はヤナギ、リュウとしか読まない」なんて低能な電話が未だにあるらしい。それなら「大和撫子」や「素戔嗚尊」はなんて読むんだ?
 6月11日、東京・新宿の日本出版クラブ会館で2時間近くかけてサイン会が敢行された。「周囲には警備に当たる警察官など六十人」というものものしい雰囲気だったらしい。なんとそこには「一時間近く前から会場の様子を見守っていた筒井康隆さん」の姿もあったという。同欄には「柳美里さんのサイン会を見守った筒井康隆さん」と「サイン会を終えた柳美里さん(右)と語り合う筒井康隆さん」の2葉の写真も大きく掲載されているから多分これは間違いない。
 それにしても筒井康隆っていつから人権派になったんだ? 表現の自由を守るためなら、こんなお茶目なパフォーマンスもいとわないってわけか? 筒井康隆ってやっぱり偉いね。
 それにつけても最近の小林よしのりはまったくいただけない。


1997年06月16日(月)

 立花隆が「同時代を撃つ」の「このニュースに注目!(97/06/12)」のなかで「結局、私は、殺人の実行行為をした粗暴で知性が低い人物と、犯行声明文を書いたのは別の人物ではないかと思っている」と酒鬼薔薇=複数犯人説をぶちあげている。僕が知っている限りでは複数犯人説を主張したのはオウム事件で大恥をかいた小林久三だけである。かなり大胆な仮説だね。
 しかし本当に複数犯の仕業だとしたら、これはもはや一種の新興宗教である。僕はやはり単独犯だと思う。
 読売新聞や神戸新聞等の報道によれば、何か月か前にインターネットで複数の人間が酒鬼薔薇が作成したと思われるWWWページを目撃していて、しかもその内容はハードディスクに記録してあり、プロヴァイダやURLまでわかっているという。
 これもなんだかおかしな話だよね。それならなんで未だに犯人が誰だかわからないんだ。もっとも僕はインターネットにあまり詳しい方じゃないから、完全に匿名で情報発信することも可能なのかもしれないけど。
 誰か何か知っていたら教えてくれ。


1997年06月17日(火)

 酒鬼薔薇のWWWページの件で、もしそれが本当なら、警察は犯人の特定はすでにできていて、ただ集まっているのが今のところ状況証拠のみで、物証がないので、この手の情報を小出しにリークすることで犯人を動かそうとしているのではないか、という説を聞いた。なるほど、と思ったね。それなら一応、辻褄は合ってる。さらにそいつの話では、最初にこの話を聞いたときには、ダミーのそういうページをつくり、情報をリークして、真犯人にアクセスさせる、というおとり捜査を狙っているのか、と思ったけど、日本の警察にそれだけの知恵はないだろう、ということだった。


1997年06月18日(水)

 今年1月、全国の3.000人を対象に実施した「土地問題に関する国民意識調査」によると、定期借地権制度を「知っている」のが27%、「聞いたことはあるが、どういうものか知らない」が20%、「聞いたことがない」が53パーセント、ということであった。もちろん調査対象の抽出の仕方にもよるんだろうけど、結構、何にも知らないんだね。定期借地権ってこれからの土地問題を考えていくうえで、非常に重要な概念なんだけど、そういうことって普通の人にはあまり興味のないことなのかね。


1997年06月19日(木)

 今朝のTVのワイド・ショウによると、三沢市議会は未だにネクタイ着用の問題でもめてるらしい。ここは「土人の国」か? 伊藤市議が妥協の結果、ループタイをつけて議場に入ろうとしたところ、今度は議員バッジをつける位置がおかしい、ということで締め出しを喰らったりしているらしい。伊藤市議の政治的立場はよく知らないが、儀礼にやたらと拘るのは文明化されてない証拠だ。青森県はこんなことしていて全国に恥を晒しているのがわからないのかね。これじや寺山修司や太宰治が哀しむぜ。


 神戸新聞の今日の夕刊によれば、酒鬼薔薇のWWWページの件は少し内容が違ってたみたいだ。結局、「酒鬼薔薇のホームページ」と言われていたのは、ある男性のつくった掲示板に、何者かが「酒、酒、酒、…」「鬼、鬼、鬼、…」「薔薇、薔薇、薔薇、…」とか「死ね」「殺す」とかいう書き込みをした(らしい)、そして岡山県にあるパソコン教室の男性講師(50)がそれを目撃した(と証言している)、という話なのだ。しかも掲示板をつくった男性の説明と「酒」「鬼」「薔薇」を見たと証言しているパソコン講師の話の内容には食い違う点もあるという。


1997年06月22日(日)

 「怪力乱心を語らず」という視点から、酒鬼薔薇について語ること、また神戸の地震を見に行ったことについて、ある人から、「下品」である、との批判を受けた。そのことについて、この何日か長いメールのやりとりをした。今は準備がないのだが、「語ること」や「見ること」、あるいは「書くこと」やジャーナリズムの困難について、いずれもう少し述べてみたい。
 ところで僕が「下品」という言葉から、思い浮かべるのは、日本テレビの「進め!電波少年」だ。


1997年06月25日(水)

 少し前にアムネスティ・インターナショナル日本支部 ビルマ調整グループというところから「今すぐ行動を!ビルマ(ミャンマー)で多くの非暴力の人々が逮捕・軟禁されています」という内容のリーフレットをもらった。アムネスティに対しては違和感をもっている日本人も多いと思うが、僕もその一人である。しかしビルマ問題に関しては、彼らに賛同できる部分が多いのもまた事実であるので、彼らの言う「あなたにできること!」を紹介しよう。
           


 ビルマは、今年にもASEANへの加盟が認められようとしています。
 ASEANのメンバー国であり、ビルマの隣国であるタイの首相宛に、人権侵害を憂慮するハガキをぜひ送ってください。

 Dear Prime Minister Chavalit,
 I am writing to express my deepest concern about hundreds of people in Myanmar who were invited to Daw Aung San Suu Kyi's house for the 7th anniversary of the general election and then arrested in May 1997.
 I believe they are prisoners of conscience who have not used or advocated violence.
 I sincerely request you, as a member of ASEAN and a neighbourhood of Myanmar, to transmit our concern to the government of Myanmar.

Respectfully yours, (your signature)  

 賛同する人がいたら、上記の英文をコピーして、最後にあなたの署名を書き添えて、タイ首相宛てにメールを送ろう。


1997年06月29日(日)

 酒鬼薔薇君は友が丘中学の3年生だった。聞いたときには驚いたけど、妙に納得できる結末だった。
 あの犯行声明文は確かに名文だけど、三島由紀夫とかのことを考えれば、14歳の少年なら書ける奴には当然書けるレヴェルの文面だ。僕が14歳のときには書けなかったけどね。
 多くの人が感じているだろうけど、TVでいろいろ解説していた例によって専門家と称される人たちは、あれって一体何だったの? 昨日の夜の須磨警察署前とかからの現場中継に映ってた妙に明るいガキどもは、一体どこの誰だったの? 須磨ニュータウンの恐怖に怯える善良な市民たちはどこへ行ってしまったんだ?
 それはそれとして酒鬼薔薇君は少年法の関係で早ければ1年もすれば少年院から出てきて、普通の生活に戻れるそうだけど(被害者のことを考えれば、ひどいと言えばひどい話だ)、そのあとの彼の生活ってどんなふうになるのかね。できたらそれなりの文章の才能があるんだから、不謹慎な言い方かもしれないが、小説家になるとか、あるいは映画とか演劇の演出家になるとか、そんな未来が拓けるといいんだけどね。殺人を繰り返すのだけはやめて欲しいね。


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