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恒例の新年一般参賀はあす二日、 皇居・宮殿の東庭で行われる。参賀者は午前九時半から午後三時まで、皇居正門(二重橋)から入場。天皇、皇后両陛下は皇族方とともに七回、宮殿のベランダに立たれる。午前は十時十分ごろ、十一時ごろ、同五十分ごろ。午後は零時四十分ごろ、一時半ごろ、二時二十分ごろ、三時二十分ごろの予定。(Yomiuri On-Line) |
この前の誕生日は自転車で出かけたが、今日の一般参賀はバスで出かけた。「午前十一時までに約二万三千人(皇宮警察本部調べ)の参賀者が正門(二重橋)を通って皇居を訪れた」(産經Web)10時10分と11時の2回で23.000人ということは、11.500人/回、7回で64.200人ということは9.171人/回だ。僕が行った3時20分の回には9.000人も参賀者がいるとは思えなかったから、多分、午前中の方が人出が多かったのだろう。 バスを降りて桜田門をくぐって皇居外苑を歩いていると、無料で日の丸の旗を配っている人がいた。僕ももらおうかと思って近づいて行ったら、目の前でちょうど最後の1枚がなくなってしまった。日の丸とはいえ、こういうときにはなんだか損をした気分になる(でも結局もらわなくて正解だった。このときもらっていたら後で東庭で旗振りをさせられることになる。それに旗は最後に出口で回収されていた)。 天皇一家の現れる長和殿のヴェランダというのは生で見るのはもちろん初めてだが、想像していたよりずっと低く、しかも近い位置にあった。今までビルの5階くらいの高さで遙か遠くに眺めるだけだと思っていた(ドラえもんはもっと近くで見られると思っていたので、がっかりしたそうだ)。 「宮内庁は混雑による混乱を避けるため、今年から両陛下らがベランダに立つ時間を事前に公表した(産經Web)」ということだが、こんなことも公表していなかったとは些か意外だ。さすがは宮内庁。 天皇一家が現れると、旗をもっている人は皆、旗を振る。誰かが合図をするわけではなく、これは自然に始まる。なかば習慣化された行事なのだろうが、特に強制的な雰囲気ではない。さすがに旗をもっているのに旗振りをしていない人は確認できなかったが、旗をもっていない人の中にはただぼうっと眺めているだけの人もけっこういた。こういう人は上野動物園のパンダでも眺めるつもりで来ているのかもしれない。旗振りが一段落したところでアナウンスが入り、いよいよ天皇の挨拶が始まる。 新しい年を迎え、ともに祝うことを誠に喜ばしく思います。年頭に当たり、わが国と世界の人々の幸せを祈ります。昭和天皇と較べたら遙かに普通の声だが、それでも皇室特有の妙にゆったりとした喋り方である。これを受けて、人びとの旗振りが再び激しくなる。挨拶の前にはガラスの向こうで手を振っていたのは天皇だけだったが、今度は天皇家全員で手を振って参賀者に応える。ここで一部から「天皇陛下万歳!」の声があがる。しかし全員が唱和するわけでもなく、写真を撮るのに忙しかったり、相変わらずぼうっとしているだけの人もいる。 外国人の生態についてはよく知らないが、だいたいこういうことは午前中に済ませてしまおうと考えるのが日本人で(少なくとも僕の親はそうだ)、こんな時間になってようやくのこのこ出かけてくるのはあまり熱心な天皇教信者ではないのかもしれない。 皇居は公園としてみると、なかなかよく整備されていて心なごむ美しい場所である。次の機会にでもご往訪あれ。
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かれこれもう20年も昔のことになるが、「仮名手本忠臣蔵」を歌舞伎座で〈昼の部〉〈夜の部〉合わせて1日がかりで観たことがある。正直言って、言葉はよくわからないし、退屈した。1日がかりで観ても全11段のうち全段ではないらしいから、相当に長い話だ。 今年のNHK大河ドラマは忠臣蔵を扱った『元禄繚乱』だそうだ。僕がいつも訪問している「世界を語ろう」掲示板でもこのところ、赤穂浪士の討ち入りは義挙か暴挙かと喧喧諤諤の議論がつづいている。主君の仇討ちなんてくだらない話に、なぜいまだに多くの日本人が熱狂するのか。義挙か暴挙かというよりこんなのは単なる愚挙、独参湯(どくじんとう)というよりこんなのは単なる田舎の猿芝居だ。 特攻隊に散っていった「英霊」に感謝せよ。ジャパニーズ・ビジネスマンが焼け跡のなかで過労死しながら24時間働いてくれたお蔭で今日の「我々の」繁栄があるのだ。世界市民などと浮き草のようなことを言っても、本気で日本の国籍を離脱して外国で暮らす覚悟があるのか。天皇陛下万歳! ああ、こりゃこりゃ。 |
今日は第105回紀伊國屋セミナー『批評空間』第2期発刊5周年記念イヴェント『いま批評の場所はどこにあるのか』というのに行ってきた。ディスカッサントは東浩紀、鎌田哲哉、福田和也、浅田彰、柄谷行人。帰りにJunkyさんたちと逢って少し話をした。東浩紀は浅田彰にキチガイと言われていたが、まさにそのとおり。 |
「ゴルバチョフ」の日本語訳って知ってます?先日、紀伊国屋書店に行ったら、帯にこんなことの書いてある本が並んでいた。早速、買ってきて読んでみると、「はじめに」に次のようにあった。 (前略)その「ゴルバチョフ」の意味は「せむし」である。何故かかる言葉が人名になっているのか。宗教的・習俗的な意味があるのか、共通の語原から分化したのか、詳しいことは私にはわからない。それはともかく、十年ほど前、世界中のテレビやラジオは「ゴルバチョフ」を連呼し、新聞や雑誌は「ゴルバチョフ」と書きたてた。そして、以後、世界中の学校で現代史の授業や試験に「ゴルバチョフ」は最重要人名の一つとして出てくるのである。うんにゃ、僕には全然、わかりません。この人、「差別語、不快語、不適切語・・・・・・」って何のことだかわかってるのかな? |
昨日の話は呉智英『ロゴスの名はロゴス』(メディアファクトリー)についてだ。 呉智英説によれば、呉家の呉智英は越家の越美晴といつも喧嘩してなきゃならん。 |
芸能ジャーナリズムは「入籍」という言葉が好きだね。 なぜ彼らは婚姻の届出をすることを「入籍」と称するのだろう。
民法では次のように定めている。第七三九条 1 婚姻は、戸籍法の定めるところによりこれを届け出ることによって、その効力を生ずる。僕が調べたところ、民法で「入籍」という言葉が使われているところは1か所もない。 婚姻の届出について戸籍法では次のように定めている。 第16条 婚姻の届出があつたときは、夫婦について新戸籍を編製する。但し、夫婦が、夫の氏を称する場合に夫、妻の氏を称する場合に妻が戸籍の筆頭に記載した者であるときは、この限りでない。自分の戸籍謄本を見ると、確かに「平成*年11月3日****(妻の名)と婚姻届出東京都新宿区***丁目**番地****(父の名)戸籍から入籍」となっていて、「入籍」という言葉が使われている。しかし婚姻の本質は「新戸籍の編製」や「入籍」にあるわけではないだろう。 戸籍謄本の記載で言えば、「入籍」の部分よりも「****と婚姻届出」という部分に中心があるはずだ(もっとも婚姻届出自体、単なる法律上の形式なのだが)。 昨年末の紅白歌合戦に出場して涙を流したという沖縄出身のあるバカ歌手は「丸山奈美恵になろうかな」と言って今の夫(SAM)に「逆プロポーズ」したそうだが、このときも芸能ジャーナリズムは「入籍」という言葉を使ってはしゃいでいた(「電撃入籍! 安室奈美恵」)。 芸能ジャーナリズムの反動姓は今に始まったことではない。焼け跡のなかでの行幸やミッチー・紀子さま・眞子さま・雅子さまブームまで彼らは一貫して天皇制強化に奉仕してきた。彼らが「入籍」という言葉を嬉々としてして使うのも僕には単なる偶然とは思えない。 マスコミ報道の影響からか、別姓制度導入は大多数の女性の要請であるかのように思われがちだが、実際には「女性だって反対よ」と異論を唱える人たちの方が多い。(産經Web「女性だからこそ反対なんです」 夫婦別姓)産経新聞は相変わらずバカなことを書いているが、「異論を唱える人たちの方が多い」と断言しながら、記事の中で一切その根拠となる数字は示していない。 「推進の先頭に立っている勢力は『女性の地位を向上させるため、男女平等のために別姓が必要』と宣伝しています。姓を同じにすると『アイデンティティーが喪失する』と。でも本当にそうでしょうか。女性の地位は内面を磨くことによってしか向上しません。姓は関係ありません」これは産経新聞が「異論を唱える人たちの方が多い」と主張する唯一の根拠(?)らしい「日本の教育を考える母親の会」という「東京や神奈川の主婦やOLらでつくる約四十人のグループの代表」とその「中心的メンバー」の発言である(と思われる)。 「たんに『結婚して姓が変わりました』でゆらぐアイデンティティーやプライバシーなんていらない。もっと人間の、人生の、内面を問う姿勢がほしい」(木村治美)彼らは「たんに『夫婦別姓になりました』でゆらぐ家族の一体感なんていらない。もっと人間の、人生の、内面を問う姿勢がほしい」とは思わないのだろうか。 |
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