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Also Sprach Mkimpo Kid

1998年02月01日(日)

 今日は本を6冊買った。

村上龍 『寂しい国の殺人』 (シングルカット社)
筒井康隆 『敵』 (新潮社)
テリー伊藤 『永田町無頼伝』 (朝日新聞社)
金井美恵子 『柔らかい土をふんで、』 (河出書房新社)
三浦俊彦 『エクリチュール元年』 (海越出版社)
『電脳文化と漢字のゆくえ』 (平凡社)


 ビル・クリントン米大統領とモニカ・ルウィンスキ元ホワイトハウス実習生とのセックス・スキャンダルが話題になっている。事件の詳細は知らないが、発端はルウィンスキが元同僚リンダ・トリップに電話で告白した内容が、トリップにより勝手に録音され、それをあちこち流されたということらしい。
 僕はクリントンのプライヴェート・ライフにはまったく興味がない。しかし松田聖子「逆セクハラ」スキャンダルのアラン・リード同様、トリップという女性はつくづく下司な人間だと思う。中年の大統領が20歳そこそこの実習生と不倫関係をもったとか、その相手に偽証を教唆したとかいう問題以前に、プライヴェートな友人との会話を平気でメディアや司法に流すトリップの破廉恥ぶりをこそ僕は問いたい。
 それにしても「逆セクハラ」とはどういう日本語だ?
 (事件については読売新聞「米大統領スキャンダル」参照)


1998年02月04日(水)

 世界の警察が平和を愛する60億の人びとのため遂に立ち上がるときがきたのだという。悪魔の兵器を大量に貯め込み、地域の安定を脅かすテロリスト集団に正義の鉄槌をくだすのだという。
 余計なお世話だ。やめてくれ。

 アメリカ合衆国によるイラク共和国への一方的武力行使に反対する意見を米国大使館広報・文化交流局に送ろう(Sign the USIS Tokyo Guestbook はこちら)。


 ナイフをもった少年がこのところ兇悪事件を立て続けに起こした。これに対し、数は減ったが、未だに「心の教育」を持ちだす時代錯誤の輩もいるらしい。だがアメリカなどの現状をみれば、この程度の事態は、当然、誰にも予想できたことだ。
 「平成の刀狩り」を一概に否定はしないが、多分、期待するような効果はない(もともと単なるイクスキュースで、当事者も効果は期待していない、という説もある)。
 成人はおろか未成年者の間でも、いずれガンがナイフに取って代わる時代がくるかもしれない。そのときになって、あの頃は牧歌的だった、と懐かしく振り返るようになるかもしれない(もちろんそんな恐ろしい時代がくることは望まないが)。
 現在、1年間の交通事故による死者の数が約1万人、それに対して殺人事件の被害者数は約1.200人である(「犯罪白書」)。あまり過剰に反応しない方がいい。
 なぜ少年によるこの手の事件が、近頃、頻発し始めたのか? TVドラマや殺人マニュアルや酒鬼薔薇聖斗事件による多少の影響はあるかもしれない。だがそのようなTVドラマや殺人マニュアルや酒鬼薔薇聖斗事件そのものを生み出した時代状況こそが問題だろう(朝日新聞の報道によれば、警察官襲撃事件の少年が、事件で使ったバタフライ・ナイフを購入したのは、去年の1月頃だったという)。
 とりあえずの教訓は、自分の身は自分で守る、ということだ。だからといって自ら武器を持ち歩くことは推奨しない。中途半端な反撃は、却って過剰な暴力を相手から誘発することになるだろう。危険を回避する能力を養うこと、そして、万一、襲撃されたら、なりふり構わず全速力で逃げ出すことだ。そのためには革靴はやめて、普段からスニーカーを履くようにしよう。


1998年02月05日(木)

 それでは僕たちはどのような時代状況のなかを生きているのか? 村上龍は『寂しい国の殺人』のなかで、日本国民の中心的感情が「悲しみ」から「寂しさ」に移行したことを書いている。近代化の途上という「のどかで貧しい時代」が去り、近代化達成による喪失感のなかにすでに僕たちはいる。
 西洋では神が死に、ついに人間も死んだと言われて久しい。日本でも「世間」という名の共同体はすでに崩壊の危機にある。未だにロマンティックな幻想にすがり、アイデンティティの恢復を模索するオヤジたちもいるが、彼らも寿命という生命の条件には抵抗できない。いずれ彼らが死に絶えたあとに、生き残るのはどのような人間か? 生憎その頃には僕も生きていないだろうから、未来の実相を見届けることはできない。
 だがせめて生きている間は楽しく生きたい。毎日、Web日記に好き勝手を書くのも人生の大きな楽しみの1つだ。快楽は個人によってそれぞれ違う。欲望やエロスに忠実に生きよう。ただし公共性を侵さない美意識や倫理観が必要だ。

 「これからの日本をどう変えていけばいいのか」などと言っている人をわたしは信用しない。そんなたわけたことを言う前にまずお前が変われ、といつも思う。システムを変えることで個人が変わる時代は終わっている。(村上龍)

1998年02月06日(金)

 大手百貨店・高島屋(本社・大阪市)の顧客データ50数万人分が社員によって持ち出され、東京都内の名簿買い取り業者に売却されていたことが5日、明らかになった。(中略)
 高島屋によると、95年10月ごろ、「孫あてにアダルトビデオのダイレクトメールが来た。孫の名前で入会した友の会の名簿が漏れたとしか考えられない。調べてほしい」と京都の顧客から訴えがあった。(朝日新聞)

 孫あてにアダルト・ヴィデオのDMが届いただけで、なんでこの「京都の顧客」はそれを「タカシマヤ友の会」の件に結びつけたんだろう? 僕のところにも封を開けずにゴミ箱に直行するDMやピンクチラシの類が、毎日、何通も届けられるが、どこから名簿を手に入れたか、なんて考えたこともない(そのうえ勧誘電話が多数ある。最近はなぜか墓地と商品先物関係が多い。墓地の方はすでにあると言うとすぐに諦めるが、商品先物の方はかなりしつこい。それでも相手を怒らせずに、30秒以内に電話を切るテクニックを身につけつつある)。まあ、こういう人がいないと、世の中の不正もなかなか発覚しないわけだから、その点ではありがたい、とも言えるわけだが、単に暇をもてあましていただけなんじゃないか、とも思ってしまう。この手の人ってけっこう多いみたいだ。
 ところで面白い悪徳商法潜入ルポを読むならこちら


1998年02月07日(土)

 【ニューデリー6日=宇佐波雄策】アフガニスタン東北部のタカール州で4日夕、大規模な地震が発生し、タジキスタン経由で当地に6日伝えられた報道によると、住民約4000人が倒壊した泥造りの建物の下敷きになって死亡し、約1万5000人が家を失った。(朝日新聞)

 人権だの何だのと言っているけど、邪教を信じる「土人」たちが何千人死んだって、遠くギリシアに淵源する平和の祭典に沸き立つ神ながらの国の人間には一切関係ないんだってことは、今日1日のTVと新聞の報道ぶりを見ていればよくわかる。「理想の母親 No.1」の子息が悪魔の粉に魅入られたとかで、またぞろ正義のリポーターが義憤に駆られ、言葉をもたない一般大衆になりかわり、道徳心溢れるありがたい質問を浴びせかけてくれていたが、これで透明な中学生たちも健全育成することの大切さを学び、2度とナイフを振り回すようなことはないだろう。正義の国では平和の祭典を記念して、いよいよ蛮族退治に乗り出すらしいが、かつての海賊の末裔たちも応援に出かける予定だというから、これで平和を愛する地球市民は、皆、安泰だね。


1998年02月10日(火)

 「文藝春秋 3月特別号」の「少年A犯罪の全貌」を読んだ。酒鬼薔薇聖斗こと少年Aの平成9年7月5日、7日、9日、10日、13日、17日、21日付の「供述調書」をほぼ原文のまま掲載している。「供述調書」に先だって「あらかじめ予想されるバッシングの論点を先取りして、それに反撃を加え、『文藝春秋』の立場を擁護しておきたい」との意図から書かれた立花隆の「正常と異常の間」という比較的長い文が載っている。

 以下ここに掲載されている文書を一読すれば、読者はいろんなことを考えるにちがいない。これまで頭の中で描いていた少年Aのイメージはだいぶちがったものになるだろう。あの事件をどう考えるべきなのか、これまでとはちがった見方をしなければならないと思うようになるのではないだろうか。

 そうかなあ? 僕は「これまで頭の中で描いていた少年Aのイメージ」が「だいぶちがったものに」なったりはしなかったけど。

 私は調書を読むまでは、ああいうモンスターは厳罰に処してしかるべきだと思っていたから、こういう決定(ムキンポ註・医療少年院送りの決定のこと)を甘いと思っていた。私だけではあるまい。今でも一般社会では、あんな奴は少年法を改正してでも吊してしまうべきだと思っている人が相当いるはずである。

 あんたが率先してそんな思想を「一般社会」に撒き散らしてたんじゃないのかね? と思わずつっこみをいれたくなるのは、僕だけではあるまい。立花はちょっと異常に「正義感」が強すぎるよね。まるで蛮族退治で張り切ってる「正義の国」の大統領みたい。何かというとすぐに、田中、金丸、と極悪非道の輩のごとく誰かれ構わず呼び捨てにしてるけど、そんな高潔な人間ばかりで世の中なりたっているわけではあるまい(僕も誰かれ構わず呼び捨てだけど、僕の場合は愛情表現の一種と理解して、皆さま、ご寛恕願いたい)。
 それはともかく、今回、明らかにされた7通の「供述調書」は充分読み応えのある内容である。少年Aの肩を張らない淡々とした語り口から実際の事件のありようが朧気ながらも見えてくる。
 僕はもともと事件の真相などというものが第3者に(いや、当事者にだって)おいそれと理解できるとは自惚れていない。事件の真相や犯人の心理の深層は「専門家」どもに任せておけばいい。
 僕の考えは多少の揺れはあったものの、基本的には事件発生以来変わっていない。
 僕は酒鬼薔薇聖斗少年の文学的才能を高く評価する。しかしその犯罪行為は認めない。
 僕が最も憎むのは、生け贄を1人選びだし、自分は絶対正義の立場から、集団リンチを加える行為である。日頃、満たされない思いを抱き、鬱屈した日常をおくっている奴らに限り、いったん捌け口を見つけ出すと、嵩にかかったようにターゲットへの攻撃を始める。醜い奴らだ!



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