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Also Sprach Mkimpo Kid
1997年12月01日(月)
最近、再び億ションが売れ始めているらしい。拓銀がつぶれ、山一證券が自主廃業に追い込まれ、景気の失速や金融恐慌が懸念されているなかで、たいへんに結構なことである。先日の「朝まで生テレビ!」でも、景気の現状はそんなに悪くない、と断言するパネリストが何人もいた。
実は僕も、現在の景気はそんなに悪くないのではないか、と思っている。むしろ今までがよすぎたのだ。
日本は(世界は、と言ってもいいのだが)もはやかつてのような高度成長型経済を望むべきではない。少なくとも先進国は現状の生活で満足すべきなのである。
景気が悪いから、減税しろ、公共投資を積み増せ、という相変わらずの声がある。しかしとんでもない話である。まだ減税については、やり方によっては、検討の余地がある。だが公共投資の積み増しなどは言語道断である。どうせ現在の政権や官僚たちに資金の効率的な配分などできるはずがない。結局、従来型の土建行政への逆行である。
今日から気候変動枠組み条約第3回締約国会議が京都で開かれる。
地球温暖化理論については、一部の科学者からの反論があるし、科学的にみて妥当なのかどうか僕にはわからない。しかしそんなこととは関係なく、地球環境が急速に破壊されつつあることは間違いがない。
大量生産・大量消費・大量廃棄のアメリカ的な生き方は今や否定されているのである。
結局、人間は最低限の衣食住さえ確保されれば、あとはメンタルな部分の問題である。幸福や豊かさを感じるのはメンタルな部分であり、それらは物質性とは直接、関係がない。これらはイメージや幻想、つまりはヴァーチャルな関係性=記号性のなかでのみ解決される。
億ションの話を最初に書いた。広いリヴィングにアトリウムのような吹き抜けの空間をとった間取りは、確かに開放感があり、快適だろう。だがそれはそんなによいことなのか?
一部の金持ちだけがそんな生活をしているうちはいいだろう。しかし日本人の全員が、そんな住宅に住み、一日中、贅沢に照明や空調を使い始めたら、そのためのエネルギーはどうなるのだ?
ゼロ・パーセント成長のどこが悪い? 最近、日本人が何人も餓死して死んだという話は聞いたことがない。
☆
朝日新聞の朝刊・総合面に前国連大使で現在、中央環境審議会委員を務めるフォーリン・プレスセンター理事長・波多野敬雄の次のようなインタヴューが載っていた。
(米国のように)30キロ離れた郊外に全室冷暖房の大きな家に住み、大型車で会社に通いながら、排出権取引や共同実施を提案するのは不遜な態度で、途上国の反発を買う。日本もオイルショックのころの生活様式をもう1度思い出すべきだ。まず日本が変えて、米国やEUに迫り、将来は途上国に迫ることが地球温暖化を防ぐ道だと思う。
僕はこの人、あんまり好きなタイプの人じゃないんだけど、言ってることは正しいね。
1997年12月03日(水)
たばこ税を1本につき1円値上げするそうだ。それによって年間2.600億円の税収増が見込まれるんだと。結構なことだ。
その理由というのが、旧国鉄と国有林野の債務合計26兆円余りを処理するためだっていうんだけど、理由の方はこの際、関係がない。
どうせなら、1円といわず100円値上げすれば、そんな債務は一挙に単年度で解決だ。
タバコを吸う奴らはまったくマナーを知らない。通りを歩きながらぷかぷかふかし、灰はその辺に撒き散らし、短くなったらポイ捨てだ。
奴らは全員、まわりの迷惑顧みずの常識知らずの連中だ。奴らが近くにいるだけで、こっちは喉が痛くなるし、臭いし、髪や服に臭いがつくし、迷惑この上ない。
タバコのポイ捨て禁止条例を法律に格上げして、違反者は全員、刑務所にぶち込め。
1997年12月06日(土)
11月27日(木)の日記に著作物再販制度の問題点について少し書いた。
現在、木下修『書籍再販と流通寡占』(アルメディア)という本を読んでいる。著作物再販制度についていろいろなことがわかってきた。いくつか要点を猪瀬直樹電子掲示板に投稿した。そのときの記事を少し修正のうえ、参考のため、このページに入れておく。
独禁法により原則禁止とされた再販売価格維持行為が、著作物については同法24条の2の4項により適用除外とされ(法定再販)、さらに今度は、24条の2の4項の除外規定である24条の2の5項を根拠として、生協、学生生協、官公庁・地方自治体の売店等で著作物の値引き販売が行われている。
僕も学生の頃、生協で確か書籍は1割引、レコードは2割引(記憶があやふや)でそれらを購入していたことを憶えている。このような制度は一般の書店へも、是非、拡充して欲しい。
僕などほぼ20年間、毎月1万円〜3万円ほどの書籍を紀伊國屋書店ほぼ1店で購入してきた。個人の客としては最上級の部類ではないのか? それなのにまったく何の優遇も受けられないというのは理解に苦しむ。
伊勢丹では、現在、 I カードを使って書籍を購入した場合、購入価格が3.000円以上ならば、5%なり7%なり10%なりの優待が受けられる(優待率は普段の
I カード利用状況による)。生憎、紀伊國屋書店などと比較すると品揃えが悪いので、僕はあまり利用していないが。
再販制度については、存続派、撤廃派だけでなく、縮小派という第3の立場もあるようだ。
僕は今の段階では、中間派ともいうべき、この立場に与したいと思う。
書籍、新聞、雑誌、レコード盤、音楽用テープ、音楽用CDの法定再販6品目をそれぞれ個別に、議論することが必要である。
「インテリが作って×××゛が売る」とも言われる新聞が、記者クラブ制度やいきすぎた販売拡張等にみられる歪みのある自らの体質を改善することなく、「言論・文化・芸術の豊かな発展のため」などと称して、他の業界と結んで、既得権益としての法定再販維持だけを要求するのは虫がよすぎる。
1997年12月08日(月)
再販制度批判の立場からは、東京大学経済学部の三輪芳朗のサイトが充実している。
この人は、僕がちょっと読んだ感じでは、「新聞再販問題」の中村正三郎だ。
1997年12月09日(火)
8日、行政改革委員会・規制緩和小委員会から著作物再販制度の見直しについての最終報告が公表された(三輪芳朗 「新聞再販問題 XII」参照)。
書籍・雑誌・新聞・音楽用CD等の4品目について、それぞれ個別に検討を加え、結論として「4品目のいずれについても、現行再販制度を維持すべき『相当の特別な理由』があるとする十分な論拠は見いだせなかった」という認識を示した。
これに対し、朝日新聞が第3社会(29面)の「インタビュー 再販制度 新聞」で、
撤廃すれば過疎地の宅配困難に 安売り競争は言論の多様性奪う
(桂敬一・立命館大教授)
サービスが多様化し宅配も残る “武器”である紙面の質は落ちぬ
(古城誠・上智大教授)
と再販制度に賛成・反対それぞれの「論客」に対等に大きくページを割くなど、比較的冷静に報道していたのと対照的に、讀賣新聞は総合(2面)で、
規制緩和小委「再販」最終報告 多角的検討が不足
「経済効率」を偏重 消費者にとって“真の利益”の視点欠く
などと一方的に規制緩和小委の最終報告を批判する記事を掲載し、その直下に、さらにそれを補強するように、
廃止への論証不十分 (浜田純一・東大教授)
文化と市場原理は別 (佐伯啓思・京大教授)
などと自社の主張に都合のいい2人の識者の(談)を並べ、さらに社説(3面)に、
著作物への認識はなお不十分だ
との論説を掲げた。
「俎板の上の鯉が包丁を振りまわす」とは、まさにこのことを言うのであろうか。
産経新聞も総合(2面)の社説(「主張」)に、
再販制度 現実無視した見直し論議
などと再販制度堅持の主張を繰り拡げる論陣を張った。
毎日新聞・日本経済新聞は見ていない。
再販制度に関するサイトを新しく2つ見つけた。
本と出版流通のページ
マスコミ界の専門紙 「文化通信」ホームページ
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