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個人に対する警察による弾圧について

ブルキッチ加奈子
sulejmankanako@hotmail.com


2003年9月29日 2004年3月24日


Date: Fri, 21 May 2004 21:40:02 +0900

個人に対する警察による弾圧についてです。長文になります。転送するときはご一報ください。

こんにちは。ブルキッチ加奈子と申します。私は平日の昼間にアメリカ大使館前で抗議をしてきました。グループに所属せず、イデオロギーや宗教もなく、ただ個人としてアメリカの外交政策について抗議を続けてきました。私の夫であるスーレイマンや、同じようにグループにしばられたくないと思う日本人や外国人の仲間4人を中心に平日の昼間に行動をしてきました。

私たちは、英語や日本語のメッセージの入った写真のパネルを用意し、大使館を利用する人たちにハンドマイクを使って英語や日本語で、イラク戦争反対など、アメリカの外交政策に対する反対、抗議をしてきました。

2002年、4月に抗議を開始して以来、初めは月1回、次ぎに月2回の抗議と増やし、2002年の12月頃から今年2月13日までは毎日抗議に行きました。(現在はアメリカ大使館前道路工事中を理由に警察からJTビル前で抗議するように言われています)

今、日本では反戦活動に対するあからさまな嫌がらせが続いています。例えば、反戦ビラを自衛隊官舎に配った人たちが逮捕起訴されたり、党の新聞を配った人が逮捕起訴、他にも反戦メッセージを書いた人が有罪判決を受けました。

そして私たちアメリカ大使館前の抗議者たちにも嫌がらせが及ぶようになりました。

長文になりますが、説明を付けるので読んでみてください。

最初に嫌がらせを受けたのは私の夫であるスーレイマンでした。2003年4月16日から18日にかけて自宅から普段使っている駅までの道に顔写真入りのA4ポスターが30枚近く張り出されました。「指名手配」、「発見した人は110番を!!」などと書かれたものです。近くの警察署の名前を騙っており、本当の指名手配書のような作りのものです。スーレイマンさんは14年日本に住んでいて1度もこのようなことが起きたことはありません。8年間同じ家に住んでいますが近所のトラブルも全くありませんでした。犯人はまだ捕まっていません。

次に同じ年の5月11日には自宅のfaxに差出人不明のメッセージが送られてきました。「ブルキッチ加奈子様」と始まっていて内容はアメリカ大使館での抗議を制限するように求めるものでした。これらのことはアメリカ大使館前で連日抗議行動をしだしてから起こった事件です。

そして、去年(2003年)12月8日、私の仕事場に赤坂警察の私服捜査員が突然2人現れました。任意で事情聴取がある、と言われました。私は毎日大使館前に抗議に行っているし、逃亡の恐れも何もないのにわざわざ職場に来たのです。捜査員は「9月に米大使館から出てきた人に対して顔のすぐ前でハンドマイクを使って怒鳴りつけたことが暴行容疑にあたり、捜査をしている」と言いました。私は人の顔の前でハンドマイクで怒鳴るようなことはしません。

アメリカ大使館前は常に10人くらいの警察官と公安数人が警備をし、警察官たちが待機しているバスが2,3台は必ずあります。その中で暴行容疑にあたるようなことをしたら現行犯逮捕になるのではないでしょうか。そもそも事件性がないようなものであり、もし日本人同士なら警察も告訴を受けないような内容です。警察はこの機会を利用し、職場の人たちに私が何か警察のやっかいになっているんだな、という印象を与えようとしたのだと思います。

12月12日、私は任意の事情聴取に応じました。なぜなら、あまりにも事件性がないし、このことで強硬になった結果アメリカ大使館前で抗議を続けられなくなるとしたら、それは私にとって最も辛いことだったからです。私は覚えている限りの状況を警察に説明しました。最後にこれからは職場に来ないように、弁護士を通じて話をするように要請しました。そしてその後もアメリカ大使館前での抗議は続けました。

今年に入って2月13日、いつも通り大使館前に抗議に行きました。すると警察から、「今までの抗議場は工事でつぶして車道にする、工事の終了後もこれからはずっとJTビルの前から抗議をしなさい、工事は2月16日からだ」と言われました。

そして2月16日夕方に抗議場に行こうとするとかなり前の道で止められました。工事が終わってからも大使館近くの道を使うときは赤坂警察に「確認」を取ってからでないと通すことはできない、と言われました。これは私だけではなく同じく昼間に抗議をしていた人たちも道を通ることさえできませんでした。

そしてこの日の夜、赤坂警察の男性捜査員が4人、自宅に来ました。スーレイマンさんがまだ仕事をしている時間帯だったので私が一人で家にいました。彼らは「家宅捜索」の令状を見せ、大声で何度も怒鳴ったあげく、みながあちこちに散らばって写真を取っていました。捜査員の一人が私の洋服の引き出しに手をかけたので「そこは下着しか入っていない」と言うと「こっちは令状があるからどこでも見ることができるんだ」「よし、開けろ」などと言っていました。

寝室の押入、お風呂場の天井、トイレ、いろいろ触り、写真を取っていきました。

翌2月17日、仕事に行き、昼休みに友人たちと待ち合わせをして昼食を外でとり、仕事場に戻りました。すると私と入れ違いで赤坂警察が捜索に来たとのことでした。警察が何人も何人もわざわざ来るほどの事件を起こすような人間なのだという印象を与えようとしたのでしょう。

私はアメリカ大使館前での抗議を2年近く続けてきました。誰かを殴るなどの暴力など絶対使わず、パネルを持ち、アメリカの外交政策に反対する意志を毎日毎日訴え続けてきただけです。アメリカも日本もテロとの戦いや市民の安全という目的遂行のために頑張っているんだ、と言っていますが、今度のことには、権力を批判する者は痛め付けるぞ、というメッセージが隠されています。

2月20日にスーレイマンが大使館に行こうとしたときには、警察と公安、合わせて10人近くが出てきて、外国人登録証明書を出すように言ったそうです。外国人登録証明書を見て公安が一生懸命メモを取っていたそうです。

これは、外国人が外国人登録証明書を常に携帯していなくてはいけない、という法律を警察が悪用しているということでしょう。アメリカ大使館に向かって抗議をしたい外国人は自分の情報をその場であかすことも覚悟で、ということでしょうか。

スーレイマンが大使館近くを歩きながら駅に戻ろうとしたときには、警官1人と公安4人が彼の周りにつき、この道は使ってはいけない、などと歩く道まで制限したそうです。

3月の初旬にはスーレイマンがインターネット上で実名を出され、テロリストだと中傷されました。

そして4月20日に赤坂警察の捜査員が2人、また職場に来ました。再度任意での事情聴取がある、とのことでした。最初の事情聴取の時に職場には来ないように要請したにもかかわらず無視してまた来たのです。5月6日に2回目の任意の事情聴取に応じました。

私たちに対して警察は「迷惑だ。」と言いました。しかし私たちは法に触れるような抗議方法を取ったわけではありません。ただ、毎日毎日昼休みに通っただけです。その結果、抗議ができなくなり、いやがらせを受け、公道なのに許可無しで歩けなくなり、警察や公安につきまとわれるようになりました。この国で保証されている自由が一体どこにあるのかと考えさせられてしまいます。

アメリカ大使館前で抗議をすることは犯罪ではありません。パネルを見せること、戦争反対とみんなで声を大にして言うこと、大使館前でラテンアメリカの子供を思い、泣くこと、早く戦争が終わるよう祈ること、大使館に毎日毎日抗議に行くこと、すべて犯罪ではありません。警察から咎められ、嫌がらせや規制を受けることではありません。嫌がらせや規制はどんどん進んでいます。この国にいる人全員がこの状態に気がついたときにはもうあと戻りできない状態になっているでしょう。自分の意志を表す権利は絶対に守らなければいけません。


神奈川新聞連載企画 『憲法って?』
第2部 “戦時”に揺らぐ表現の自由
1:家宅捜索1 言い合いが「暴行罪」
2:家宅捜索2 仕事失う恐怖も感じ
3:家宅捜索3 判例とは「状況違う」
4:家宅捜索4 広がる権力の“暴走”
http://comcom.jca.apc.org/iken_tokyo/siryou/f_siryou.html


アジアプレスネットワーク -ウェブジャーナル-
*
SPEAK OUT


『日本に住む外国人が語る世界』
The 21st century and the new world disorder

日時: 2004年6月27日(日)
場所: 渋谷勤労福祉会館


Date: Thu, 14 Oct 2004 22:11:49 +0900

アフガニスタン爆撃の3年目にあたる10月7日、私たちはアメリカ大使館に向けた抗議行動に行きました。抗議をする前に、このことをぜひ報道して欲しいと思い、数社のメディアに連絡をとり取材要請をしておきました。

この日の抗議者は4人。11時に赤坂で待ち合わせをし、4人ばらばらに大使館へ向かいました。最初夫であるスーレイマンがアメリカ大使館のゲート前にたどり着き、ゲートの鉄の門をつかんで「あなたたちがテロリストだ!国連のアナンのコメントにもあったがこの戦争は違法だ!」と怒鳴りました。すると警察が5,6人出てきて彼をつかみ、持ち上げて連れて行こうとしました。彼と警察がもみ合っている間に私と友人二人がゲート前につき、「この戦争は違法だ!イラクから出て行け!」と怒鳴りました。警察が何十人も出てきて、私たちを押しながら「推進!推進!」と怒鳴っていました。

その間、撮影していたメディアの人が腕章とIDを持っていたのにも関わらず、警察によって私たちから遠ざけられてしまいました。

スーレイマンは何人もの警察によって3回にわたって持ち上げられ、アメリカ大使館から離れたJTビルの方向へ連れていかれました。JTビルに着き、警察のやり方に抗議をしている私たちを撮影していたメディア2人の所へ警察が行きました。二人を引き離し、制服の警察3人、公安1人が各自ついて、メディアの人たちが首から下げているIDを引っ張り、威圧的に取り囲み、大きな声を出していました。私が駆け寄り何をやっているのか、と聞くと「あんたには関係がないことだ」と言われました。「腕章とIDがあるからメディアの人でしょう!」と言うと「本物かどうか分からない。確認中だ。」と言っていました。「あんたがいると確認作業が進まない。」と言われ、私も離されました。

カメラで撮影していたメディアの人はカメラを取り上げられていました。

その時に別のメディアの人も到着し、同じように警察3人と公安1人に取り囲まれていました。その人も、腕章とIDを下げていたにも関わらず、「本物かどうかなんて分からない。」と警察に言われ、警察の「確認作業」がすむまで撮影禁止を告げられました。30分以上の「確認作業」があり、ようやく「撮影許可」が下りました。

その時には警察が20人以上、公安が6人いました。

一人の公安が私たちのすぐ目の前にぴったりとくっついていたので、私が「抗議の邪魔なので離れてください」と言うと、「公道は万人のもの。なぜあなたは差別するのか。」と言いました。しばらくして私から「公道は万人の物ならなぜ私はアメリカ大使館の前に行くことできないのか。」と聞いたら、その公安は「あなたは善良な市民ではないからだ。あなたは市民活動家だ。」と答えました。

市民活動家であれば善良な市民ではない、それは警察や公安が心の中で思っていたことを口に出してしまっただけだと思います。そしてスーレイマンに対して制服の警察は「今度こういう事をしたら、連れて行くからな」という脅しまでかけてきました。

この日は今までにないほどメディアに対する規制が明白でした。それも恥も外聞もなくかなり威圧的に。これからは撮影する時はきちんと警察の許可をとるようにとまで言ってのけました。

メディアに対する規制は個人の知る権利を奪い、メディアを権力の宣伝部化し、弱者の声を潰すことにつながります。メディアの人たちは萎縮しないで戦ってもらいたいのです。「声」を潰されることがどんなに大変なことか、世界中の独裁国家を見て学んでいるはずです。

ファシズムの影はどんどん近づいてきています。アフガニスタン爆撃から3年目、イラク攻撃から1年以上、「開戦(攻撃開始)」時にはみんながショックを受けたが、世界で戦争の続いている今の状態が「平時」になってしまっています。犠牲者たちは爆撃で殺されるだけではありません。彼らは、私たちに忘れられることで、2度殺されることになるのです。

国連のアナンは今頃になってBBCラジオでイラク戦争は違法だと言いました。私たちに打つ手がないまま、いくつもの戦争が過ぎていきました。これ以上戦争を作らないためにも、常に世界を思い、いつまでも戦争反対の行動をしつこく続けていく必要があります。
みんなが共に、時にはそれぞれの行動を広げながら頑張っていきましょう。


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