5・30 リッダ闘争三十周年記念集会=運動「連帯」主催 「再びパレスチナの平和を求めて!」 2002年5月30日(木) 午後6時 日本キリスト教会館4F |
講演: パレスチナの現状報告 ―― 「人民新聞」・山田洋一氏 リッダ闘争の今日的な意義 ―― 「連帯」代表・足立正生氏 |
パレスチナ連帯運動の実践方向を問い、国際連帯の更なる発展を共に目指そう! 今年の5月30日は、パレスチナ連帯行動として、三人の日本人青年がイスラエルの軍事戦略拠点リッダ空港(テル・アビブ)で決死作戦を実行してから、丁度30年目に当たります。当時、アラブ・パレスチナの人々は、この闘争を民族解放闘争への国際連帯活動として歓迎しました。もう一方の、攻撃を受けたイスラエルやその同盟者たちは、冷血狂気の「神風作戦」だと大合唱を繰り返し、日本政府やマスコミもそれに唱和しました。 1972年から30年経つ今日、この闘争が、今また別の意味を与えられようとしています。 いまだにイスラエルによる民族虐殺の危機に晒されているパレスチナの人々が自爆作戦を展開する度に、また、昨年の9・11貿易センタービル襲撃作戦以来、追い詰められた者の取る最後の行動の在り方の原点が「リッダ闘争」だ、と、再び喧伝され始めたからです。 当時も今も、これらの決死作戦が、イスラエルやアメリカの国家テロリズムに対する異議申し立てであることには疑う余地もありません。これらの決死作戦が戦争行為であることも確かです。しかし、再びその意味が剥奪され、一方的なテロリズム非難で片付けられることによって、問題が混迷し始めます。 国家テロに攻撃されたことがない者には、決死作戦を自己犠牲の英雄的な闘いとして全面肯定することは、承認しがたいものでしょう。それが一方の現実です。しかし、もう一方で、決死作戦が行われる問題の根拠を問わずに済まそうとする罠を暴かなければ、「国家テロ」に対抗する「自爆テロ」の応酬の連鎖を解決することは不可能です。その両方を同じように問わず、未解決で放置した結果は、現在パレスチナで起こっている現実に現れています。 イスラエルのパレスチナ自治区への攻撃は、イスラエルが言うように「反テロ戦争」なのでしょうか。決して、そうではありません。パレスチナ自治区のジェニン難民キャンプへの無差別攻撃の一例を取ってみても、それがパレスチナ民族虐殺作戦であることは、明らかです。本格調査前の今でも、一般市民の射殺130人以上、虐殺50人以上、"戦闘能力ある市民"の拘束拘禁が1500人以上と、イスラエル軍のナチス的な行為が隠しようも無く明るみに晒されています。これが、自爆攻撃が続く直接的な問題の根拠ではないでしょうか。 5月7日、アメリカ・ブッシュ大統領とイスラエル・シャロン首相は首脳会談を開き、パレスチナで行われた虐殺と破壊の事実を無視し、中東和平を自分達だけで取り決めようとする尊大さを示しました。 その同じ日に、イスラエル軍の厳しい検問下で、パレスチナ人による自爆作戦がテル・アビブ近郊で決行されました。イスラエルは早速、報復攻撃を用意しています。 いまだに、全てのパレスチナ自治区はイスラエル軍戦車の包囲下にあり、破壊された難民キャンプ地への食料や飲料水と医薬品はなかなか届かず、イスラエル軍が再占領を開始した3月末から何も事態は変わっていません。だからこそ、このイスラエルの一方的な国家テロ行為に抗議して、自爆攻撃が続いているのではないでしょうか。 私たちは、リッダ闘争30周年に当たって、この現実の中で、リッダ闘争の意味をあらためて考え、そこから解決すべき問題、パレスチナ連帯行動として発展させるべき方向を問い合いたいと思います。 それは、決死作戦の是非を一方的に言い募る仕方を拒否し、決死作戦の根拠を作っているイスラエルやアメリカが行っている民族虐殺と人権抑圧の「国家テロ」を同じように問いただすことを意味し、「国家テロ」と「自爆テロ」を同時に捉えて問うことによって民族虐殺や人権抑圧、そして戦争行為の犯罪を問い抜こうとする意図を持つものです。 連絡先: 運動「連帯」−東京都足立区東和5−14−6−202 |
早稲田奉仕園 周辺MAP・構内図 |
■パレスチナ現地報告会(ビデオ上映と講演) 講 師 : 山田洋一氏(人民新聞記者) 日 時 : 2002年6月4日(火) 午後7時〜 参 加 費 : 1000円 主 催 : ムーブメント連帯 場 所 : スペースAK 大阪市北区天神橋1丁目19-4 イサムビル1F |
帰国者の裁判を考える会 |
人民新聞 |