追悼 桧森孝雄さま


windyman
波照間 遊
YOUSSEF HIMORI
智徹院孝嶽雄道居士


2001年10月1日 日比谷公園にて
2001年10月1日 日比谷公園にて


RealAudio
32.0kbps 1分53秒6
streaming download
2002年1月18日
イスラエル大使館前にて


お知らせ

 あるいは新聞報道などでご承知かとも思いますが、残念なお知らせを緊急にお伝えしなければなりません。私たちの友人にして同志、かつ不屈の戦士にして心優しき酔っ払いでもあった桧森孝雄さんが、さる三月三〇日の夕刻近く、日比谷公園の「かもめの噴水」広場で焼身自殺をとげられました。この日がパレスチナ人民が国際的連帯の誓いを新たにする「土地の日」であること、さらにこの広場が、桧森孝雄さんを中心に昨秋、イスラエルのパレスチナ侵攻への抗議とアフガン非戦の旗印のもと、七十二時間のハンストを敢行した時の現場であることを考え合わせると、桧森さんが焼身自殺の道をあえて選び取って、自ら抗議の意志表示としたことの意味は明白であります。しかし、今ここで、その自死の意義をあげつらうことは、生者の倣岸を犯すことになりかねません。今はただ、自死の現場に残されていたと聞くメモから、「故郷(秋田)の海をたどればシオンにいたる」という一節を取り出して、桧森さんが自らの生命存在を賭してまで、パレスチナ人民と一体化しようとした事実を、しばらく沈思黙考することにしましょう。
 以下、あえて事務連絡とします。
 故人の遺体は自死の現場から丸の内署によって三月三十一日午後慶応病院の霊安室に運ばれ、入棺ののち四月一日いっぱいは冷凍室で保存されています。連絡の取り合えた近しい友人たちが三十一日夕刻まで霊安室で故人と最後のお別れをし、パーシム奥平とサラーハ安田の遺影ともども献杯の儀をも執り行いました。
 四月二日の正午、遺体は冷凍室から東京・代々幡斎場(京王新線幡ヶ谷駅・小田急線代々木上原駅下車)へ運ばれ、十二時半すぎには荼毘に付されます。最後のお別れはこの機会しかありません。付け加えれば故人の遺骨は上京されたお兄さんによって故郷へ運ばれ、秋田の地で葬儀と納骨が執り行われる予定と聞いています。私たちとしてはできるだけ早い機会に、悲しみを込めて桧森孝雄さんの追悼と、怒りをもってその死の真の犯人であるイスラエル国家を公然と弾劾する機会をもちたいと考えております。以上、悲しみをこらえつつ取り急ぎお知らせする次第です。

二〇〇二年三月三十一日  
友人一同  
連絡先:渡辺亜人  


2002年4月2日(火)

代々幡斎場内部 火葬を終えて
火葬のあと通信社の取材を受けるお兄さん 日本キリスト教団 城西教会


パレスティナの方々へ 侵略国家はいらない

 シオニズム・シャロンによる侵略と虐殺、そして人種差別に対するパレスティナの人々の抵抗を無条件に支持します。平和的であれ、暴力的であれ、人間の尊厳を回復するための抵抗を無条件に支持します。
 解放に取り組むパレスティナの人々は私には近い友人のような気がします。日本は侵略戦争体制を急速に増強して非常に危険な国家になっていますが、侵略戦争の責任を問い日本解放を求める人々がアジアには少なからずいて、私も解放の一端に参加したいと希望してきました。
 侵略を既成事実としてイスラエルを認める政治がまかり通っています。特に、パレスティナの人々自身を抜きにして国家の和平が取りざたされる残酷な世界があからさまに現れ、言葉を失っています。高度に発達した科学の世界は古代よりも残酷な侵略と虐殺の時代をもたらしました。人間としてもっとも大事な、痛みを互いに思いやり、分かち合う心が無惨に踏みにじられています。
 イスラエルを後押しするアメリカ、その盟友として振る舞う日本への抗議は日本でも小さいながら続いています。シャロンを後押しする側の解体を求めて、その抗議に一人の人間として私も参加します。

 イスラエルの解体、全ての侵略国家の解体を!
 シオニズムの解体、全ての奴隷制からの解放を!
 解放の連帯!    

パレスティナに続く海辺で               
                 
2002/3/30 土地の日に   

                      ユセフ・桧森   


代々幡斎場 交通のご案内





さきがけonTheWeb - 秋田魁新報社/秋田さきがけスポーツ新聞社
照る日 曇る日 / 活動家、日比谷公園に死す (2002.4.14付)


Land Day Himori1 Himori2 Himori3 Himori4 Himori5 Himori6



to Palestina Top