2001年12月10日(月)
検証!激動の新世紀
「2001.9.11世界はどう変わったか?」
これは文明の衝突か?
アメリカ、アフガン、パレスチナ、日本の動向を検証する。
【出演】足立正生(映画監督/日本赤軍)
若松孝二(映画監督)
宮崎学(作家) ← インフルエンザのため欠席
三上治(評論家)


『光の雨』 初日舞台挨拶 (12/8) LOFT/PLUS ONEの看板
左から若松孝二、足立正生、三上治 最前列、足立氏の前に坐ってました


 宮崎学氏はインフルエンザをこじらせたとかで来なかった。宮崎氏の発言にも興味はあったが、僕としては、今日は足立正生氏の話を中心に聴きたかったので、却ってその方がよかったかもしれない、とも思った。宮崎学「スパイ」問題を糾察する会との対決も面白いかもしれないが、10月4日のイヴェントでも宮崎氏の側が完全に開き直っていたので、議論にまったく深まりがなかった。

 9/11の事件について、足立氏が、それを、犯罪であり、テロルであり、断固糾弾されなければならない、という意味のことを語っていたのが、印象深かった。質問タイムに平野悠・席亭から相変わらずの発言があったのだが(N.Y.の現場に飛んで認識ががらりと変わった、それまで、アメリカざま見ろ、と思ってたが、やっぱりアメリカの空爆は正しいよ)、僕としては、それはまったく間違ってる、と思ったし、足立さんも当然それに反対するだろうと思っていた。しかし足立氏はそれに一切反論しないばかりか賛意さえ示した。ここのところには少なからず違和感をもった。民間人を巻き込んでの自爆行為に対して、否! を突きつけるところまでは僕にも納得できる。しかし平野さんはそれを超えて、アメリカの空爆は正しい、とまで断言しているのだ。それに対してははっきりと反論してほしかった。
 9/11の当夜、足立氏は若松孝二氏と酒を飲んでいたそうだ。TVをつけると、WTCに航空機が2機つづけて突っ込む場面が映し出された。それを見て足立氏は、やった! と思ったそうだ。僕だって正直そう思った。しかしそのような感情と行為や事件への評価は別だろう。

 感情について:
 事件の報道に接し、仮に、やった! ザマーミロ、という感情が先行したにしても、同時に、これはまずい、という思いもそれと相前後して起こったはずだ。少なくとも僕はそうだった。犠牲者1人1人の日々の暮らしに思いを馳せるなら、このような行為はとうてい許されることではない。感情的にはこのように背反した気持ちがほぼ同時に起こった。足立氏の場合も似たようなプロセスを辿ったらしい。

 行為と事件への評価について:
 9/11を契機に世界は変わったか。根本的には変わってない、と僕は思う。個人的な衝迫度も1995年の阪神大震災の方が大きかった。しかしそれでもいくつかの大きな、しかも悪い方向への変化が確実に起こった。その1つはアメリカの世論がブッシュ支持/戦争支持に大きく、しかも急激に傾いたことだ。リベラルと思われていたニュー・ヨーカーの間にさえ、広くそのような空気が共有されていった。この影響は長期的に見て、どのような事態を招来するのか。この変化は僕に暗い未来を予感させる。
 「自由の国」アメリカに表現の自由に対するあからさまな抑圧が拡がっていった。「正義の国」アメリカは「十字軍」を率い、異教徒の「テロリスト」殲滅のための腐朽した作戦を開始した。アメリカは最初の1か月だけで約15億ドルものコストをかけてアフガニスタンに大量の近代兵器を投入し、自らは傷つくことのない安全地帯から住民の虐殺を展開した。「テロリスト撲滅」の名のもとに、この機に乗じて、中国ではウイグル人への、ロシアではチェチェン人への弾圧が強化されていった。イスラエルではシャロンがパレスティナ政府を 'entity that supports terror' とさえ呼び、連日の殺戮を繰り広げている。
 これが9/11の事件の結果として、今、世界中で起こっていることの一端であるなら、行為をせざるを得なかった彼らの心情には酌むべきところがあったにしても、世界史的俯瞰の中で、その行為を正当化することは僕にはできない。仮にテロルが認められるとするなら(僕はあくまで認めない立場だが)、それは結果として世界がよき方向へと導かれるという前提のもとでだろう。そして9/11の事件は結果としてそのようなものではなかったのだ。
 足立氏は、彼らをそのような絶望の淵に追いやってはならない、と語った。

 『光の雨』について:
 僕は12月8日の初日、池袋・新文芸座に観に行った。写真はそのときに撮ったものだ。舞台中央の一番左が高橋伴明監督。左から3人目が裕木奈江。
 足立氏はこの映画を観ている間中、涙が止まらなかったそうだ。連赤を乗り越えるためにアラブに渡った、と語っていた。若松監督の、今でも永田洋子を許すことができない、という発言も印象に残った。

 三上治氏がイヴェントの最後に、1月にでも宮崎氏も招いてまたこのつづきをやりたい、と発言した。


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