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Also Sprach Mkimpo Kid
1997年11月11日(火)
領土問題について考えてみよう。以前この問題について僕の意見を「社会問題会議室」に投稿したところ、さすがに賛同意見はほとんど得られなかった。
僕が言いたいのはこういうことである。
領土問題って本当にそんなに重要なの?
日本はロシア・中国・韓国とそれぞれ北方領土(南クリル)・尖閣諸島(釣魚島)・竹島(独島)の領有権の帰属を巡り争っている。詳しい事情は、僕はあまりこの問題に興味がないので、よく知らない。よく知らないで発言するのだから、事実関係において多少間違ったことを書くかもしれない。
そのときはメールででも、掲示板ででも、遠慮なく指摘してください。
日本がこれらの島々の領有権を主張している本当の理由はなんだろう。
(1) これらの島々は歴史的にみて日本固有の領土であり、北海道・本州・四国・九州・沖縄と一体となって、今まで連綿と日本の国土を形成してきた。祖先が代々必死になって守ってきた大事な土地を自分たちの時代に放棄することはできない、という主に心情的理由
(2) これらの島々には豊富な漁業資源・鉱物資源・エネルギー資源等が眠っている。資源小国の日本にとって、これからの厳しい世界的メガ・コンペティションの時代を生き抜いていくのに、これらの土地はなくてはならない宝の山である、という主に経済的理由
(1)と(2)とどっちの理由が中心なんだろう。僕は勉強したことがないのでよく知らない。もちろんどちらか一方だけの理由でないことは当然だし、それぞれに個別の事情があるだろう。だが僕は、そのバランスがどうなっているのか、を問うているのだ。
もし(2)の理由が中心なら、日本はこれらの土地の領有権をあくまで主張していくべきだろう。だがもし(1)の理由が中心なら、日本はさっさとこれらの土地を放棄してしまってかまわない、と僕は思う。
金持ち喧嘩せず、という言葉があるが、こっちがまず一歩を譲ることによって、相手に心理的に貸しをつくり、それをこれからの外交交渉を有利に展開していくうえでの道具として使うことはできないのか?
蟻の一穴という言葉もあり、これらの係争地は国土防衛のための藩屏である、という意見もあり得るだろう。
僕の考えもまだまだ中途半端だ。
あなたはどう思いますか?
インターネット エクスプローラ には多分、対応していません。
☆
大友未来研究所を訪ねてみよう。ここは政治・経済・社会のコラム(future)とサッカーのコラム(soccer)を中心に編まれている。領土問題とは全然関係ないぞ。
郵政民営化キャンペーンも推進してるよ(僕も参加している)。
1997年11月12日(水)
今日は再び「教徒大学のページ」を訪ねてみよう。ストレス解消に校門前でアジテーションしてみるのもいいかも。図書館にある資料室の「異端経済学徒の日記」を読んで、ついでに「教徒大学へのアクセス状況」を調べてみよう。
1997年11月13日(木)
NHK「青春探検 レーサー学校の若者達」は面白かった。高橋直子(高橋源ちゃんの妻)の案内で、鈴鹿サーキット・フォーミュラ・レーシング・スクールに学ぶ若者たちの姿をリポートしている。皆、将来のF1ドライヴァをめざしている。
この学校は1年間26日の授業で費用がなんと1人800万円もかかるんだと。在校生は17歳から20歳までの9人。なんとも贅沢な環境だ。費用は大半が親がかりらしい(短いTV番組だから細かいところまではよくわからなかった)。
高橋直子が生徒の1人の家を訪ねるのだが、父親は弁護士らしく、家も邸宅と呼ぶに相応しく、いかにも裕福そうだ。
その父親がこんなことを語っていた。
自分も若い頃は、弁護士をめざし、司法試験に合格するのに何年もかかった。その間、親からずっと援助を受けていた。息子にも、レーサーでも何でもいい、とにかく自分のやりたいことにチャレンジして欲しい。幸い自分は今のところ、仕事も順調で、お金には不自由していない。800万円くらいの金は、息子の夢のために投資したい。お金は有効に使うためにあるんで、いくら溜め込んだってしょうがない。
羨ましい話だね。なかには、頭にくる、甘えている、自立してない、という人もいるだろうけど。
息子は高橋直子にこんなことを語っていた。
僕には才能があるんです。でも才能だけではレーサーにはなれない。環境が必要なんです。幸い僕には環境もある。世の中には才能はあっても、環境に恵まれず、レーサーへの道を閉ざされている人たちもいるでしょう。僕には才能も環境もある。
高橋直子が源ちゃんの家で夫婦で会話をする場面があった。源ちゃんの使っているパソコンだかワープロだかが映されていたが、ディスプレイが縦長でちょっと変わっていたね。
1997年11月14日(金)
サイトへのアクセス数をなるべく正確にカウントするため、ブラウザのオプションで画像の自動読み込みをはずしてしまった。読み込みが早くなって快適だ。必要なときだけ画像ボタンを押せばいい。(Thanks
to Pakuan)
ということは、わざわざ僕みたいな環境にして、インターネットに接続している人って結構いるのかな? 僕もときどきそうなんだけど、なかには必要もないのに再読み込みする人もいるだろうから、このくらいでちょうどいいかもね。
1997年11月15日(土)
領土問題については WallStreet/1260 の「ムキンポ小僧のゲストブック」で、現在、ちょっとだけ議論しているので、よかったら読んでください。ご意見もお待ちしています。
1997年11月16日(日)
旧ソ連からイスラエルへのユダヤ人移民が8年間で約70万人に達した。ライ麦を原料とする清涼飲料水である「クワス」を愛飲する彼らの大半は非宗教的で、「ユダヤ」である以上に「ロシア」的である。これらの新移民はイスラエル国民の8人に1人を占める。(以上、11月14日「朝日新聞」朝刊・国際面)
Naziによるホロコーストやそれに先立つ反ユダヤの長い歴史を考えるとき、パレスティナにおけるイスラエル国家の建国自体は肯定されるべきものなのかもしれない。しかし入植の強行などにみられる、現在のパレスティナ人に対する力による弾圧はとうてい許容できるものではない。
そう考えていた僕は、この新聞記事を何か希望を感じさせるものとして読んだ。
ユダヤ教やシオニズムという旧来の硬直した価値観にとらわれない新しいイスラエル市民の人口構成比率が高まれば、膠着状態の中東和平にも何か打開の途が拓けるかもしれない。
95年11月のラビン首相(労働党)の暗殺と翌年5月のネタニヤフ(リクード)による政権獲得により、パレスティナ暫定自治協定の完全実施は急速にその実現が遠のいた。前年のラビン、ペレス、アラファトによるノーベル平和賞共同受賞はすでに遠い日のできごとである。
湾岸戦争以来、イラクに対しては理不尽なまでに強硬な姿勢をとり続けるアメリカも、二枚舌外交と揶揄されながらも、イスラエルに対してはその態度は極端に弱腰である。
国際的な圧力が期待できない以上、イスラエル自身がその内部から変革されるしかない。
聞くところによれば、そのアメリカ自身、毎年の新移民(不法を含む)の流入により、いずれ人口構成比率で、白人を非白人が凌駕する日が来るという。
悦ばしい兆候だ。
1997年11月17日(月)
ABSOLUTE ムキンポ!を http://www2q.meshnet.or.jp/~mkimpo/ から http://www2t.biglobe.ne.jp/~mkimpo/Absolute/
に移動した。
1997年11月18日(火)
今日から「るろうに剣心」の新シリーズ「島原篇」が始まった。でも曜日が水曜から火曜に変わったので、うっかりしてると忘れそうだ。
1997年11月19日(水)
エジプト南部の観光地ルクソールで、17日、イスラム原理主義者「イスラム集団」とみられる武装グループにより日本人約10人を含む観光客60人ほどが殺害された。日本人犠牲者の多くは新婚旅行中のカップルであった。
外務省のエジプトに対する渡航情報は「渡航自粛勧告」「観光旅行自粛勧告」「注意喚起」の3段階のうち、安全度の比較的高い「注意喚起」が適用されていた(事件後、同国南部に対する渡航情報は「観光旅行自粛勧告」に格上げされた)。
僕はこの事件の第1報を聞いたとき、マス・メディアは再び、外務省が悪い、旅行会社が悪い、の一方的な非難の合唱を始めるのではないかと危惧した。しかしそれはどうやら杞憂だったようだ。
今朝の朝日新聞・第1面には「惨事の地、観光再開」の見出しと、「武装グループによる観光客襲撃事件から一夜明けた18日、事件の現場になったエジプト・ルクソールのハトシェプスト女王葬祭殿を見物する日本人旅行者たち。厳重な警備のなか観光が再開、いつもの人波が戻った」のキャプションで、ロイター配信による一見呑気そうなオバサン観光客の姿をとらえた写真が掲載されていた。
日本人も少しは大人になったようだ。
1997年11月20日(木)
ビルマ(Burma)という言葉とミャンマー(Myanmar)という言葉の違いを知っていますか? もちろん僕の日記をここまで読んでくれるほどの人は知っているでしょう。知らない人は
Free Burma Japanese Home Page を見てください。
下記の文をコピーして Myanmar Home Page の「ご意見箱」に送ってください。もちろんこんなに簡潔なのではなくて、もっと説得力のあるオリジナルな文の方がいいでしょう(乱暴な言葉は使わないでください)。
Daw Aung San Suu Kyi や NLD との対話を進め、
貴国が更なる民主化の道を歩まれることを期待します。
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