はっきり言って、もう君の顔も見たくないね、とは僕のまだ1度も口にしたことのない台詞だが、ある女の子に、はっきり言って、もう君の顔も見たくないよ、てもし君に言えたらな、と言ったことはある。今となっては彼女の顔もぼんやりとしか(昔、観た映画のようにしか)思い出すことはできないが、しかしだからといって、あのときのあの感触が、ニセモノだった、ということにはならないだろう。
夢を見ている間にも、夜は確実に朝になる。映画館を出た後で、傘を置き忘れてきたことにふと気がついて、暗がりのなかへと戻ってみると、少女はすでに老婆に変身していて、黄色い歯茎を見せて嘲笑うのだ。だから僕は傘をさして、雨の街へと跳び出すだろう。腹をすかして夜明けの街をさまよって、朝霧の彼方へと消え去るだろう。そのとき僕は逃亡者だし、街は灰色に煙っている。でもやがて、追って来る者の誰もいないことに気がついたとき、街は退屈さに欠伸を噛み殺す巨大なコンクリートの瘡蓋になっているし、そんな瘡蓋を引き剥がすには、1本の研ぎ澄まされたナイフより、たとえば〈やさしいダチュラのつくり方〉とか〈松本伊代と結婚する方法〉とかいった幻の本が必要になるのだ。だから僕は紀伊國屋書店の2階へと続く銀色のエスカレイターに跳び乗るだろう。
その日、僕が買った本は、大江健三郎の〈なんとなく、ブッキッシュ〉とジンボヒデキの〈私は神を視た〉だった。
この本をください、と僕はキャシアで彼女に言った。
どの本ですか? と彼女は僕に訊き返した。
教えてあげてもいいけど、その前に喫茶店でお茶でも飲まないか?
でも、今、勤務中だから。
仕事は何時まで?
ワンワン。
彼女は犬になったのだ。僕は彼女のために素敵な首輪を買ってあげるだろう。
君に真珠のネックレスをプレゼントするよ。
あら、そんなに無理しなくたっていいのに。
でも君のことが好きなんだ。
私もよ。わんわん。
僕は毎朝6時に起きて、彼女を連れて神宮外苑を散歩するだろう、と思った。
僕たちの愛は3年間続いた。
たとえば、と僕は言った。
たとえば僕たちの愛が3年間続いたら、3年後に僕は、僕たちの愛は3年間続いた、という書き出しで、1つの小説が書けるわけだし、僕たちの愛がさらに3年間続いたら、6年後に僕は、僕たちの愛はさらに3年間続いた、という書き出しで、もう1つの小説が書けるわけだ。
僕たちの愛はさらに3年間続いた。
合計で6年ね、と彼女は言った。
僕たちの愛は合計で6年間続いたことになる。その間にオリンピックが2回あったし、力道山が死んで、ジャイアント馬場が吉永小百合と結婚した。月光仮面の正体が実は仮面ライダーであったことが石森章太郎らによって明らかにされ、よい子はみんな涙にくれた。悪い子は、ゲゲゲの鬼太郎、を読んでいた。僕は、きいちのぬりえ、を読んでいた。
あなたはどんな子供だったの? と彼女が訊いた。
あの頃のことは思い出したくもないね、と僕は言った。暗い時代を生きてたんだ。
明るい時代と暗い時代とどっちが好き? と彼女が訊いた。
明るい時代、と僕は答えた。
見栄坊ね、彼女は笑った。
昭和35年2月23日、僕は父・ジャイアント馬場、母・吉永小百合の長男として、満州国ハルビンで生を享けた。父はハルビン特務機関の忍者だった。母は北京動物園でアヒルをしていた。種を超えた愛が存在する時代だった。
征韓論と列島改造論の板挟みのなかで、時の内閣は総辞職した。ジミー・カーターは火星人の来襲に備えて、地球防衛軍の設立を提唱したが、ブレジネフの突然の死去により、その構想もあえなく頓挫。第40代大統領に選ばれたロナルド・レーガンの三日天下は〈芋の子を洗うが如き大政奉還〉と評され、第3次シベリア出兵にも思わぬ伏兵が〈忽然とアオミドロの如く出現〉した。朝鮮では金日成が〈文鮮明と歴史的民族ホモの役割について〉と題する講演をして、南北の対話を強調したが、1950年、遂に朝鮮戦争勃発。エティオペアではビキラ・アベベがアフリカ征服の野望に燃え、ウガンダのアミン大統領と不気味な対立を深めていた。
そのような時代に僕は孤独な少年時代を多感に過ごした。
愛について語るのはとても難しい。でも孤独について語るのはとても恥ずかしい。
第1章 愛について
中国人は愛し合うとき獣の姿をして愛し合います。中国には昔から愛にまつわる4つのいけないことがあって、お父さんやお母さんと愛し合ってはいけないのです。男同士女同士で愛し合ってはいけないのです。アヒルや犬と愛し合ってはいけないのです。自分自身と愛し合うのは最もいけないこととされているのです。こんなことは僕たちの国では考えられないことですね。僕たちの国では家族はみんな愛し合っているし、同性同志も仲よくするし、2本足の動物も4本足の動物も生命あるものはみんな大切にされているし、個人の集合が国家なのです。中国人たちは僕たちには想像もつかない方法で愛し合います。男の人が白いおしっこを女の人にひっかけるのです。そしてそのとき、まおつえとん、という人の写真を拝むのです。100人も200人も一緒になって、こむみゅん、というところで、獣のような呻き声をあげて、裸のままで男の人と女の人が取っ組み合いをするのです。そうすると、気持ちいい、のだそうです。
中国人ておかしいですね。
第2章 孤独について
彼は孤独な赤ん坊だった。生まれて3日後に飢えて死んだ。
こんな惨酷な話ってないと思うの。
彼女は僕に〈可哀想なロバ〉の話をしてくれた。それはこんな話だった。
彼は可哀想なロバだった。生まれて3日後に飢えて死んだ。
僕たちはよくインド人について話し合った。インド人のことを考えるたびに僕たちは何となく浮きうきとするのだ。でもアルメニア人のことを考えるたびに心が沈んだ。
ガリア人の族長は言った。東洋人よりはむしろ蛇を、ギリシャ人よりはむしろ東洋人を信用せよ。しかしアルメニア人は決して信用するな。
別れ際に彼女が僕に残していった言葉は、行け行け、タイガーマスク! だった。
おわり
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