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仮題・11月8日の思い出


 友人にひどく用意周到な奴がいて、いつでもコンドムを持ち歩いている。いつ何どきどのようなことになるかもわからないから――というのがその理由である。彼は21歳でまだ童貞だ。
 また友人に信じ切っていた恋人に裏切られ、悲嘆のあまり、〈泣き濡れて ひとり夜のベッドのなかで 思うは君のことばかり〉と題された、とても涙なしには読むことのできない、大恋愛叙事詩を書き上げた男がいる。彼の恋人を奪ったその憎むべき男というのは、実にオバQであったという。
 またある友人は朝から晩まで1人の女性につきまとわれ、「別れたくても別れられない」というのがその口癖である。彼は詩人である。次に示すのは彼の書いた美の塊だ。

    詩、詩、詩を書くおれさまは
    まさに天下の大詩聖
    だからおいらは詩人だよ
    なぜならおいらは詩を書いた

 彼は〈蛙のゲコを聴け〉という小説で芥川賞候補にもなっているくらいだから、皆さんも名前くらいは知っているだろう。菊池寛という名前である。

    そうだ ミカンを食べたとき
    私には愛がなかった
    そのうえ私は道具だった
    スキー場のホテルの一夜
    私は単なる道具だった

 19**年7月14日、僕は21歳になった。慶應病院で生まれたが、今は早稲田大学に通っている。文学部の3年生だ。

    ポテト・チップス食べながら
    「白い雲なんて嫌いだ」と
    呟く私に愛がなかった
    ただミカンだけがうまかった
    確かなことといえばそれだけであった

 僕はホモセクシュアルなどではないのだが、誰も信じてくれない。お尻のヴァージンに賭けて僕はストレートである。ただときどき女装して街を歩くのは、ほんの気晴らしに過ぎないのだ。


ほんの気晴らしに過ぎないのだ

 今年の夏、僕はアメリカを1月近く旅行してきたが、向こうでイアリングとブレイスレットを買った。それをつけて映画などを観ていると、必ず男が近寄ってくる。だが僕のお尻はまだヴァージンである。唇だってヴァージンだ。ただ夢のなかで1度だけ男と交わったことがある。相手の男は沢田研二であった。

 僕は小説家志望だが、皆さんが今、読んでいるこの文章もこれでも小説のつもりである。ピーター・トッシュのアルバムを聴きながら書いている。少しはレゲエのリズムが感じ取れる筈だと思うのだが、どうだろう?

 「今日のエクレル坊や、何か落ち込んでいたんじゃない?」
 菊池寛が言った。彼の推理は当たった試しがないのだが、自分では洞察力の鋭い男と自惚れている。
 「ええ、この頃、ずっとみたいよ。この前、逢ったときも、最近は1日中、悶々と寝ているって言ってたし、本も全然、読んでないんですって」
 陰間屋が言った。彼はカーリー・ヘアのソドム男で皆に恐怖の寒イボを提供している。
 「ぷふい」
 22歳の文学青年が言った。彼は日記をつけている。
 「いや、絶対、何かあったよ」
 「私もそう思うわ」
 「ぷふい」
 そしてその日は夜遅くまでエクレル坊や問題を激しく論じ合ったのであった。
 家に帰ると留守中に電話があったという。X仮面からだ。

   つづく


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